朔 (旧暦 水無月朔日)

「まわし待った」は難しいんですよね。
 止めるタイミングが。
 もちろん動いてるときはダメだし。
 どちらかに有利不利になってもダメだし。
 まさに行司さんの腕の見せ処。

 そもそも、まわし待ったになるのは、まわしが緩すぎるせいです。
 つまり、力士本人のせい。
 なので、力士の意識を直せば、だいぶ土俵がマシになるはずなのですよね。

 でも、やらない。つーか改善しない。
 なぜなら、そーゆー力士は、わざと緩くしてるから。
 まわしが緩いと、掴まれても伸びてしまうので、掴んだ相手が力を出せません。つまり、少なくとも四つ相撲の相手には効果的な防御手段ではある。
 みっともない姿ですがね。
 つか、あきらかに神聖な土俵を汚す姿ですがね。

 好角家を自称する一部の馬鹿どもが「まわしを緩く着けるのは立派な戦略だ」とかほざきます。
 豆腐の角に頭ぶつけて*ねや、と思うわ。
 この馬鹿どもは、逆にまわしをきつく締める力士を批判します。「まわしを持たせないのはズルい」と。

 かつて、NHKの中継で解説の親方が、特に横綱千代の富士のことを普通に誉めてましたよね。
「霧を吹きかけてきつく締めるから、掴まれても腰を振れば、まわしを切ることができる」と。
 つまり、正しいと言っている。
 これを、馬鹿どもは批判するんですよ。

 でもね。

 まわしの別名を「締め込み」と言います。
 つまり、お祭りで見られる六尺褌と同じく、絶対に緩まないようガッチリ締めるのが正しい着けかた。
 千代の富士関は、何もまちがっていません。皆が同じように、きちんと締め込めばいいだけです。

 なのに戦略と称して緩くして、土俵を降りるときにはダラリと下がってる。
 恥ずかしくないんでしょうか?
 親方も何とか言えよ。

 まわしを取られたくなければ、取られないよう動けばいい。自分が先に取ればいい。取られる前に相手を突き出せばいい。
 なのに、取られても伸びてしまうように緩くしておく。
 まわしより前に、根性が伸びきってね?

 柔道……もとい、JUDO でも、胴着がはだけたり帯が緩むと相手が組みにくくなる。つまり自分の着衣は乱れたままのほうが有利なので、誰も自ら「直したい」と審判に求めたりしない。
 でも、審判が「待て」をかけて直すよう命じるんですよね。

 大相撲も、まわしの緩すぎる力士には厳しく教育的指導したらいいと思うよ。