『1日外出録ハンチョウ 13』
福本伸行・萩原天晴・上原求・新井和也/ヤンマガKC
怪談におけるオチの必要性については、知性派の大槻&小田切と体力派の板井&岩田とで意見が分かれたのは面白いですね。
オチを付けない謂わば投げっぱなしジャーマンな怪談と言えば、アニメ『怪談レストラン』を思い出します。決してオチが無いわけではないのですが、あるような無いような微妙な匙加減で毎回を締めていましたよね。だから、より怖かった。監修が松谷みよ子さんでしたから、さもありなんです。
煮干し定食は、むしろ地下給食のデフォだろ。
これで、いつカイジが落ちてきても大丈夫(笑)。
飯の供は、昔々『美味しんぼ』でもやってましたな。
日本人にとって永遠のテーマかと。
「昔は電車でタバコが吸えた」や「マンガ家の住所が雑誌に載っていた」は、まさしく“あるある”。
他にも、趣味系の雑誌に文通相手を募集するコーナーがあって個々人の住所氏名が掲載されていた、なんてのもね。つか、読者コーナーへの投稿掲載に投稿者の住所氏名も載ってたよな。
走る電車の窓を開けて身を乗り出す、なんて映画のシーンみたいのも、昔は本当にできたからね。あぶねーよな。
「教え魔おじさん」は、ただただウザいだけ。無自覚にやってるかもな人は気をつけましょう。
無論、「過干渉おばさん」も同罪だから。
空いた時間をダラダラ過ごす。
ああ、これって『ハンチョウ』の基本やん。原点回帰やん。
屋台のおでん。
これも“昔あるある”ですが、昔は路上の商売が五月蠅く言われなかったってのが、ありますよね。だから駅周辺の歩道が日没後はゴチャゴチャしていて歩き辛いし汚いし物騒だし。何なら、使わない昼間も、線路沿いにシート被せた屋台がズラリ“路駐”してたし。
それで成り立っていた昭和って、冷静に考えると野蛮な時代だったのかもしれん。
いや、路上屋台でも適度にあるならいいんだけど、一つ許可すると後続が山のように続いて収拾つかなくなるんだよなあ。昭和初期くらいまで遡るとバランス取れてるんだろうけど。
婚活については女将の意見が正解だと思います。結婚って、後からついてくる結果なんじゃないかと。
個人の権利が蔑ろにされていた戦前までなら、見合いだの親が決めただので丸く収まっていたでしょうが。今では、結婚前提での出会いってのは、最初っから歪みを内包しているように思えるのですよね。
いえ、恋愛結婚>婚活結婚、なんて優劣があるとは言いませんが。
でもさー。「結婚は契約だ」とかの考えでドライに割り切った夫婦って、どこか仮面夫婦な感じがしてねぇ。
とにかく木村さんに幸あれ。