(旧暦 睦月十七日)

 うーん……。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200123-00010000-magmix-ent

 このライター、初期の『美味しんぼ』を痛烈批判してるわりに初期の『美味しんぼ』について最低限の調べ物すらしてませんね。
 記事のために取材を受けたシェフさんは知らなくても仕方ないけど。
 この記事を書くうえでライターが知っていなくてはならない重要な要素を無視しています。

 初期のラスボス的悪役の海原雄山北大路魯山人の影である。

 この事情をスルーして批判記事を書くなど言語道断ですよ。
 記事内で批判している雄山の目に余る言動あれこれは、魯山人が実際にやったことなのです。しかも、それを魯山人は講演会などで自身の武勇伝として自画自賛していました。
 記事にはないけど、メシが気に入らない雄山が妻を怒鳴りとばす描写も、私生活で奉公人に厳しくあたる魯山人と被ります(まあ、ここは、昭和中期あたりまでの関白家長の平均値だったかもではありますが……)。
 雄山がよく言う「貧乏人に一流の料理など無駄、安物だけ喰わせていれば充分」というのも魯山人の主張そのものです。自分自身、貧乏だったクセに随分とご立派になったものです(魯山人の生い立ちは、『美味しんぼ』中期に登場した団社長の生い立ちとして描かれています)。まさに成り上がり者の勘違い思考回路。

 原作者の雁屋さんは、連載が実質的な打ち切りとなって後に「最初から魯山人を尊敬していた」旨の発言をされていますが、嘘ですよ。どう見たって、初期の『美味しんぼ』は魯山人批判ですよ。
 譲っても、魯山人を雄山に、あるかもしれない魯山人の良心を山岡に投影して対決させてたんじゃないのかな。
 あー。そう言えば、雄山に虐められて泣いていた料亭の女将を助けた山岡が、そのとき作った鰹出汁と昆布出汁は、魯山人が著書で書いていた手法そのものです。なるほど。魯山人の中での光と闇の対決でもあったのか、初期は。
 ともかくも、魯山人の傍若無人な振る舞いを肯定するのは弟子と信者だけだと思いますね。
 いや、仏蘭西料理の店に山葵と醤油を持ち込んで、「こっちのほうが旨い」と言うだけでなく、周囲の客たちにもそれを試させて同意を引き出すなど、営業妨害以外の何だと言うんでしょう? あまっさえ、後の講演会の自慢話で「だから仏蘭西人は味音痴だ」と暴言を吐いてしまう。魯山人って、そういうことしてた人なんですよ。
 なればこそ、平社員の山岡に超一流陶芸家の雄山を叩かせていたはずです。あの頃の雁屋さんは「理不尽な権威との闘い」が作風でしたからね。
 山岡が劇中にて、雄山の素晴らしい陶芸作品と冷酷下劣な人間性とを対比させて「芸術の魔性」と言っていました。これこそ、本来の『美味しんぼ』が追究していたことなんじゃないのかな。なので少なくとも人としての魯山人は最低だというのが主張だったはずです。

 といったあれこれに、まったく触れず悪役・海原雄山の言動を批判するなど、無意味で滑稽もいいところです。
 こーゆーネット記事って記事をチェックする編集長に相当する人が、いないんだろうなぁ。いても、富井副部長レベルのお飾りか(笑)。



 北大路魯山人の言動あれこれについては、平野雅章氏が編纂した、魯山人の講演などの記録で知ることができます。文庫本にもなっていますから誰でも読めます。たしか中公文庫だったかな?(本を持ってるけど、例によって屋内行方不明でレーベルまでは確認できん……。orz)
 青空文庫にも、魯山人本人が発した食べ物論がいろいろとありますね。妖之佑は電子書籍で読みました。

 それと。
 平野雅章氏は、『料理の鉄人』にて「魯山人の愛弟子」との触れ込みで、料理記者の岸朝子さんともども審査員長的な立場で出演されていた人です。
 実際には「愛弟子」は盛り過ぎで。この人自身は陶芸も書画も印章作りも料理もプロではない。お仕事は、もっぱら魯山人に付き従って、魯山人の書き記した文や発言を記録・保管する秘書か付け人みたいな立場だったようですね。昔風に言うなら書生かな。
 この人のおかげで、私たちは魯山人の言動を知ることができるわけです。