壬生狂言 (旧暦 弥生十四日)

 カリオストロ公国に赴いたときはともかく。まさか、インターネットの時代にまでブルを駆るとは思いもせんかったぞ銭形。あれは異国の地に輸出されて生き残っていた車だったんだろうか。
 ルパンがチンクェチェントなどの旧車に乗りワルサーを携行することも、次元がコンバットマグナムを手放さないことも、五ヱ門並みの時代錯誤ではあるのですよね。つまり、スタイルにこだわっているだけ。プロとして、それはどうよ? と本当なら問われるところ。
 しかしです。
 不二子がブローニング M1910 を使い続ける理由は何なんでしょうね。
 不二子はルパンや次元ほどツールにこだわりを持つタイプではない。無論、官給品のガバを使い続けている銭形とも立場が違う。銃に限らず、すべてを道具として割り切って使い捨てる現実派のはず。
 一期の頃、つまり 1970年代なら、M1910 は女性が隠し持つにギリギリ適した拳銃でしたが。80年代に入ると、もう時代遅れに近かったですよ。もっと安全かつ確実な小型拳銃が、いろいろと存在した。なのに不二子は 21世紀の今でもブローニングに、こだわっている節がある。なんでだろう?
 まあ、二期の不二子は武器を固定していた風ではなかったですけどね。OPでは妙にでっかいデリンジャーを妙な構えで撃っていたほどに、銃器にこだわりを持っていなかった(爆)。
 ブローニングというブランドや製品にではなく、あの銃そのものに過去があるのかな?

 四期でも、そう感じたのですが。
 連続ストーリは『ルパン三世』にそぐわない、と勝手に思っています。一話完結型のほうがテンポ良くてルパンらしい。
 MI6のニクスみたいな良いキャラは別エピソードをまたがって登場させればいいわけで。長々とやった挙げ句、最後はダ・ヴィンチに丸投げ、そのダ・ヴィンチも短命ゆえに自滅という、酷い結末でしたからねぇ四期。
 五期もサー。あの仮想通貨成金のクソガキとか、早々に観飽きてんだよなー。鯛が靴履きそう。





『ベストセレクション』のおかげで、かなり久々に二期最終話「さらば愛しきルパンよ」を観たわけです。
 なーんだ。銭形が偽者……つーかルパンの変装だって最初っから判るよーに演出やってんじゃないの。昔は気づかんかったなー。

 最近になって、このエピソードに関する興味深い説、と言いますか宮崎監督の真意についての記事・記載あれこれを読んで、ぶったまげました。
 と同時に、その調べ物の過程で、二期を制作するに際しての日テレのスタンスも判り、なるほど自分が二期を受け入れられないのも道理だ、とストンと落ちたワケです。
 つまり、「さらば」を演出なさった宮崎監督と、ただの視聴者である不肖・妖之佑とが、わりと似通った感情を二期に対して抱いていた、ということですね、生意気ながら。
 でもなー。それならそれで監督もサー、最後に登場したルパンを緑ジャケにすれば、もっと意図が伝わったのになー。とか思ったり♪
 詳細は、ぐぐるなりして各自お調べくださいませ。ここで勝手に記事の引用とか、したくないので。