庚申 (旧暦 弥生十八日)

 カブルーの人心コントロール術は、本当に見事ですね。
 あえてシュローの主張に沿うようにライオスの言動を大仰に批判しつつ、実のところライオスの肩も持っていて、沸騰しているシュローの鎮火に成功。
 ライオスが魔物の弱点を巧みに突くのと同じです。本当にカブルーは人への興味が強いんだな。

 そんなところへ、キメラ化したファリン(と言うか、ファリンを取り込んだ元炎竜のキメラ、と呼ぶべきか?)の襲撃。
 原作でも屈指の迷台詞「すごくかっこいい」が、ライオスのダメさを的確に表現してます。
 そして……容赦なく赤に染まるなあ画面。そりゃ、あんなデカくて重たい怪物に蹂躙されたら、人なんてひとたまりも無いよ。
 やっぱり、回復僧侶だけは最後まで生き残らないと。冒険の基本であり鉄則ですな。
 そんな中で失神だけで済んでたタデは頑丈ですわ。さすがオーガ。

 シュローとマルシルの口論の中で、蘇生中にファリンと炎竜の魂が混ざったのではないか、という説が浮上しました。
 これ、原作どおりに、地上に帰還したナマリによるキキカカへの迷宮心得をやっておけば、視聴者への伝わりが確実だったんですけどね。あそこは料理屋での会話シーンで退屈だと、アニメ製作が安直にカットしたものと見える。
 九井さんによる布石・伏線は一切の無駄が無いのですよ。

 原作では、蘇生直後の化粧の落ちたマイヅルさんが滅茶苦茶に色っぽいのですが。
 さすがにアニメでは充分には再現できてませんね。
 九井さんの画力、パねえ。

 そんなマイヅルさんが、自身による「教育の落ち度」を反省してました。
 でも、それは違うと思う。
 そもそも家柄の良い所の教育なら、どうしたって純粋培養になる。文武だけでなく倫理道徳や規律あれこれと、堅物の製造工場みたいなもの。
 シュローが免疫の無い純粋無垢になるのも、あたりまえです。
 堅物向けでないほうのヤツは本来、ヤンチャな兄貴とか悪友とかが教えるものなのですよね。それでバランスの取れた人格形成になる。
 箱入り教育が大前提で任されたマイヅルさんの責任ではないでしょ。マイヅルさんより上の責任。
 だからなー。島での経験は、シュローにとって良い肥料になると思うんだよな。「大雑把で鈍感で間が悪い」ライオスが相手であってもサー。いやむしろライオスくらい無神経なほうが効果的かもしれん。

 ともあれ。
 一日三食食べて睡眠取るのが正しいのは、まちがいない。
 この作品のメイン・テーマでもありますし。
 よって、喧嘩はライオスの勝ちー。

 マイヅルさんも。
 何だかんだでマルシルに気遣いするし、カブルーを待っててくれるし、「試しに一人殺してみれば」っつー第一印象とは真逆に良い人ですよ。

 ハーピーの卵と、バジリスクコカトリスの卵と、どちらを取るか?
 尾蛇類は鶏と蛇の頭だから、まだ気持ち的に割り切れそう。
 ハーピーは人の顔と胸だからなあ……卵も何か嫌だ。ちゃんと殻があるから黙ってりゃ判りゃしない分、用途は広がりそうですけどね(魔笑)。



 今回も、あの使い魔はちゃんと相手を糸でグルグル巻きしてますね。
 しかしながら検索でヒットした巷の感想を拝見すると、どなたもあれが土蜘蛛だと認識しておられない。牛鬼、それも「うしおに」でなく「ぎゅうき」だと捉えてる。
 一人くらい気付かんものか? 牛鬼なのに糸使うのを疑問に思わんのか?
 水木しげる作品は偉大ですが、それに乗っかって思考停止していいわけじゃない。
 まあ、観る側、読む側は何も考えなくていいです別に。
 しかし、作り手となると、そう甘くはない。
 妖怪モノではありませんが、九井さんは、きちんとご自身の頭で考えて『飯』で形になさった。
 水木妖怪のデザインパクリ設定パクリばかりしている、その他諸々の漫画家諸氏も、お考えになるべきでは? て言うか、恥ずかしくないのかな?