(旧暦 師走廿七日)

 2日の日記で言い足りなかったこと。



 もちろん、成功する実写化もあるんですよ。
 例えば『孤独のグルメ』は数少ない成功例の一つでしょう。スタッフの作品愛ゆえなのか、B級名作として長寿作品になってる。とは言え、これも原作とはかなり違ってますけどね、五郎さんのキャラとか物語の空気感とか。

 原作を忠実に実写化して成功するのは本当に希少ケースでしょう。
 原作大改変のうえでの実写化成功例がときどきあるものだから、それが目立ってしまい、ドラマが原作に頼る……と言うより原作をただただ利用しようと安易な道に走るのでしょうね。実際には失敗のほうが遙かに多いのに。そのため、オリジナルを作れる脚本家が育たないという負のスパイラル。

 一方で、アニメは表現方法が実写よりは漫画に近いこともあってか、無茶な進行や手抜きや悪意さえなければドラマほど酷くはなりにくいように思えます。
 とは言え、内容改変という状況は同様で。
 先月26日の日記に、あんなこと書いたものだから正直、自分で混乱してるんですけどね。(;^_^A
カリオストロの城』と言い『ビューティフル☆ドリーマー』と言い、アニメ映画としての完成度は高く、巷の高評価を得ています。
 しかしながら、共に原作熱烈支持者(あるいは原作原理主義者)層からは叩かれまくっている作品でもあるワケ。
 モンキー・パンチさんや高橋留美子さんの本音は知りようがありませんが、少なくともお二方とも大人の対応をしておられますし、原作を辱められたとまでは感じておられないものと外野ながらに推察します。

 あくまでも個人的な説なのですが。
『ルパン』も『うる星』も短編を重ねた長寿作品ということが、アニメ化にとって良かったのかもしれません。基本、一話完結で次々とエピソードが切り替わっていく。であれば、途中でちょいと派手に寄り道しても、元に戻すことは容易です。
『うる星』で言えば、原作そのものが一話ごとに別世界レベルです。友引高校校舎が「ちゅどーん」と吹き飛んでも次の週には何も無かったかのごとく復旧してますし。特に1年4組時代ですと、あたるが臨終間際で終わったり、諸星家が町内会や自衛隊から莫大な損害賠償請求を喰らったり。でも次の週には、あたるは元気に走ってますし、諸星家が破産・没落した様子もありません。なべて世は事もなし。
 これ、赤塚不二夫作品によく見られる現象で、六つ子とイヤミとチビ太の相関関係が毎回毎回、変わってたりするんですよね。その都度、六つ子とイヤミが初対面だったりすらします。話によってはイヤミが死刑になってます(笑)。でも次の回では元気なんだよなイヤミ(爆)。
 ナンセンスギャグでありスラップスティックだからこそ可能な手法なのですが。
 同じ理由で、アニメでメガネがメチャクチャ大暴れしても後のエピソードに悪影響が出ることなどない。まして『ビューティフル☆ドリーマー』なんて最初っから夢オチ宣言してるようなもの。なので映画の後には、TVのほうは元通りの日常になってる。よって原作が振り回されるリスクも無い。これでいいのだ。
 これが同じ高橋作品でも『めぞん一刻』だと事情が変わってきます。こちらには一本の大きな芯があり、箸休めエピソードであっても芯から大きくズレることは絶対に許されません。しかも『うる星』のように宇宙人とか妖怪とか怪力キャラとか出せませんからね。なのでアニメで思いきったことは難しいし、やってはダメ(それでも遠慮気味にアニメのオリジナルをやったけどね。TVでは三越善三郎なるオリジナルキャラを出したり、映画では結婚式前夜を描いたり)。
 ということで、『カリオストロの城』も『ビューティフル☆ドリーマー』も、原作の柔軟性・懐の深さに上手く乗っかれた作品なのだと思います。

 アニメであれ実写であれ、原作から変えたいというなら許可取りは大前提としても、それ以前に取り上げる作品を選ぼうよ。
 伏線・布石を慎重に敷きキャラを複雑に配置した精密機械のような作品を無遠慮に勝手にいじくりまわしたら、そりゃあ話が崩壊しますしトラブル必至に決まってます。
 その程度の判断くらい、ちゃんとしてほしいものですねTV局と制作は。まして上から目線など、もってのほか。

 ついでだから言っちまいます。
 宮崎駿監督は他者の作品をアニメ化するときだけは「アニメ作家」の肩書きを下ろしていただきたいと思ったりします。