まずは、昨日と同じことを申し上げる。
これ、できるなら、太平洋戦争の悲惨な実態を描いたものを読むか観るかしてからのほうが、より世界観が判りやすいと思います。
ただし、「滅私奉公」とか「一億火の玉」とか「盡忠報国」とかほざき「国民は国家のため」と考える連中による戦争美化モノは絶対ダメです。
赤紙で酷い目に遭った人たちの記録でないと。
例えば水木しげるさんの自伝など、かなり良いかと思います。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
声優陣を見ての予想どおり、第六期の映画化でした。何せ、ねこ姉さんがいますから♪
つまりは、TV最終話で鬼太郎たちに関する記憶を失った犬山まながJK生活を満喫している頃の出来事だったと。鬼太郎は、まなの身辺警護の合間に、あそこに行ったと。そーゆーことでしょう。だから、まなは出てこない。
(なお、私は後で知って口惜しい思いをしたのですが、まなの中の人はご出演です。そのシーン、実は伏線の一つなので要注意!)
ただ、TVと違って。
PG12 は伊達じゃない!
R15 でもいいくらいじゃね?
お子さん同伴は、あかんと思う。楽しめないよたぶん。
戦後復興の中、野心に燃える元復員兵の物語。
なんでかタイミングが重なるなあ、似たような話。
『-1.0』におけるゴジラの日本上陸は 1947年(昭和22年)。
で、『ゲゲゲの謎』の事件は昭和31年。
十年近いズレはありますが、戦争の爪痕と、それに翻弄されてもがく若者という意味では同じですね。
座敷牢前での食事シーン。水木は復員して十年くらい経ってるはずですが、戦地での癖が抜けていないのだとしたら物悲しいですね。
まあ端的に言っちまえば、
「製薬業で財を成した犬神家の一族が実はメトセラ・プロジェクトあるいは不死鳥作戦に関わっていた」
みたいなお話です。それを『鬼太郎』でやった。
なので展開としては普通です。ヒロインのあれこれやボス、黒幕も含めて平均値です。目新しいものは無い(にしてもよお、キツネ目のキャラに石田彰さんを充てるなよなあ。その時点でネタバレ同然ですやん)。
この作品は、水木とゲゲ郎(仮)との関係を見守ることに意味があります。ここがキモ。ここが素晴らしい。
原作である貸本版とのリンクを成立させるために水木に施したアレは余計だったかな、と思います。
どのみち、ラストで流れた後日譚、原作に繋がる部分は、実のところ原作との矛盾に満ち満ちてますから。それなら、水木はそのままでもよかったのでは?
記憶を失った水木がゲゲ郎(仮)夫妻と再会しても恐怖で逃げ回るばかり。ってのは、それこそTV最終話、まなが記憶を失って鬼太郎たちを怖がったのとダブってしまい……ゲゲ郎(仮)の気持ちを思うと悲しいですね。
ねずみ男のアレも、原作とで矛盾になる。
ストーリ上、仕方なかったかもしれませんが、ちと苦しい。
それでもです。
原作に対する敬意、原作を尊重しようという志は充分に感じました。
美人である鬼太郎の母親が原作の姿とで矛盾にならない理由付けもちゃんとできている。
御先祖様たちの霊毛をあのように扱ったのも納得できる。
言ってみれば六期の一部分ですから、そりゃ出来が良いに決まってますよね。
TVで目玉の親父さんが言っていた人助けの理由、「水木という人間に鬼太郎が助けられたから」という事情をこれで回収できましたね。「鬼太郎が」と言うより、親父さん自身が水木の存在で人間に対するスタンスを改めた、というのが正確ですが。
冒頭の図々しい雑誌記者が最後に真摯な人物になったのは少し唐突でした。
必要なのは認めますが、もう少し何か工夫が欲しかった。
鬼太郎初見でも充分に楽しめますが。
予め原作に触れておくと、より一層、面白いと思います。
あるいは、この映画をきっかけに『鬼太郎』原作の沼にハマるのもまた一興かと……さあおいで~こちらにおいで~。
にしても。
六期TV版でのあれは夢の世界ででしたが。
鬼太郎の父さん、たぶん今の鬼太郎より桁違いに強いな。
鬼太郎があのレベルに到達するには、まだまだ何十年も、あるいは何百年もかかる、ということですね。
円盤出たら買いそうだ。