己巳 (旧暦 水無月十一日)

 しつこく、招き猫のおさらい。



※ 丸〆猫(まるしめのねこ)
 浅草今戸で作られていた今戸焼の一つ。
 浅草神社(三社様)の境内で売られていたものが、アイテムとしての招き猫の元祖。
 横向きで上体だけこちらに向けて耳のあたりで手招きする三毛猫。目は小さな点レベル、さらに近年の物は三白眼。お尻のあたりに、○に〆の紋が入る。
 現代のヒット商品と同様、複数の業者で本家争いをしていたらしく「本丸〆」などの亜種があったそうな。

※ 古瀬戸猫
 古瀬戸焼の三毛猫。
 痩身で真っ直ぐ立ちに近い座りかたで、顔と言うか頬か顎あたりの低い位置で手招きしている。これも小さな三白眼。

※ 常滑
 招き猫のテンプレ、二頭身&つぶらな瞳の常滑焼。
 戦後間もなく(昭和二十年代)の誕生と思われ。
 三毛、黒、赤、金、右手、左手、小判の有る無し、手長、打ち出の小槌、三匹合体、両手招き、両手招き&千両箱踏みつけ、青い目の$招き……等々、バリエーションが多い。

※ 三河
 三河土人形の猫。
 吊り目と大きな耳とブチ柄(というか、ほぼ“お姫様カット”)が特徴。

※ 九谷猫
 豪華絢爛。
 まさに、ザ・九谷焼

※ 高崎猫
 陶磁器ではなく、この地の達磨と同じく張り子。



 発祥

 生き物としての招き猫は、豪徳寺説と花町説がある。
 豪徳寺の前を通りかかった彦根藩主が、寺の山門で招く猫に誘われて境内に入ったところ、落雷の難を逃れたという伝説。
 あるいは、人気花魁の愛猫が命がけで主を守ったという伝説。

 アイテムとしての招き猫は、今戸焼説(浅草神社説)と招き狐説の二つ。
 今戸焼きの丸〆猫は、↑のとおり、三社様の境内で売られていた様子が当時の絵で残されている。残念ながら今戸焼は絶滅。現行品は近年になって個々人の手で再現されたもので、産業としての再興には程遠い。
 招き狐は、招き猫より古くからあった客寄せの縁起物で、花町の茶屋で飾られていたという話。以前、書籍で読んだものの本の題名すら憶えておらず裏取りできない(汗)。

 ここからは批判的な文となるが事実だから仕方ない。
 浅草にある今戸神社を「招き猫発祥」とするのは無理がある。
 まず、今戸焼と今戸神社が、そもそも関係ない。「今戸の地にある」という共通点のみでは弱い。
 ↑でも触れたとおり、今戸焼の丸〆猫は浅草神社の境内で売られていたことが文献で証明されている。なので、今戸神社よりも浅草神社こそが「発祥」を名乗るに相応しい。
 今戸神社は「沖田総司終焉の地」も名乗っているが、実のところ、病身の総司を診ていた松本良順が当時の今戸八幡宮の地に住んでいた、だけとのこと。
 ということで、今戸神社の主張はすべて根拠希薄な「自称」に過ぎない。現実には、今戸神社は源氏ゆかりの八幡宮、というだけの素朴な神社だった、というのが正しいようで。
 これらについては、かつて書籍の記述を鵜呑みにして信じた自分を猛省する必要を常に感じております。
 にしてもなぁ。商魂は歴史をも上書きしようと見苦しくもがくのか……。

 ちなみに、豪徳寺今戸神社とも、頒布されている招き猫は常滑猫の外見をベースにした物であって、それぞれの言う発祥と無関係なデザインなのが苦笑モノどころか失笑モノですらあります。
 発祥がデマのレベルな今戸神社は論外として。
 豪徳寺彦根城とタイアップして「ひこにゃん」の招き猫を作ったらいいと思う。これなら由来とも合致するから。適正価格で出るなら、オイラは買うぞ。