実のところ個人的には。
は“謎の三柱”なんですよね。
オオクニヌシについては昨日、触れさせていただきました。
今日は、タケミナカタについて。
高天原からの一方的な降伏勧告に対して、大国主命は二人の息子に判断を丸投げします(ここも、妖之佑が「オオクニヌシ=代表者人格」説を考える理由)。
兄の事代主神は、あっさり承服、身を隠してしまう。
一方、弟の建御名方神は徹底抗戦を選び、その結果、建御雷神に完敗し諏訪まで逃げて引き籠もりになった。
ここまでは、よろしいですよね。
さて。
降伏を了承したオオクニヌシとコトシロヌシ。似てますよね、名前。
ところが、反攻して敗退したタケミナカタは父兄と名前が似てません。むしろ闘ったタケミカヅチと似ています。
なぜでしょう。
コトシロヌシがオオクニヌシと同じく出雲にいた、というのはまちがいないでしょう。
しかしです。
タケミナカタが父兄と同じく出雲にいた、というのは無理があるように思えるのです。だって、逃走したのが諏訪ですよ? 距離ありすぎません? 不自然ですよ。
むしろ、タケミナカタは元々が諏訪にいた、とするほうが自然です。
では、出雲の危機に諏訪から駆けつけた? と考えると、これもまた無理がありそうです。
妖之佑は、タケミナカタは出雲では闘っていない、と思うのです。そうではなく、天孫族の出雲侵攻に対して終始、諏訪防衛に徹したのだと思います。「こっち見んな、こっち来んな」ってこと。
で、タケミカヅチとしても諏訪を攻めるには距離が邪魔。かと言って放置もできぬ。よって、話し合いで解決したんじゃないのかな。「そちらが諏訪から出ないなら、こちらも諏訪の領土は侵さない」とか何とか。
そしてそして、國譲りの正当化のため、書類のうえではタケミナカタに“敗戦”してもらった。
もっと言うと、タケミナカタというのが、そもそも敗戦者としての名前だった。つまり、タケミナカタとは天孫族が國譲りのために作り命名した人格だった。
だってね。
諏訪の地には太古からミシャグチ神がおられたのですよ。そして今でも鎮座しておられる。
ご存じのとおり、諏訪大社は四社で構成されます。建御名方神をお祀りする本宮と前宮(両社を合わせて上社)、建御名方神の御妃様である八坂刀売神をお祀りする秋宮と春宮(両社を合わせて下社)。
四社ではあるのですが、前宮のみ異質だそうで。実は最も古いのが前宮で、古来の神が祀られていた、あるいは今も祀られている。
この古来の神様こそ、ミシャグチ神なのです。
妖之佑の自説は、もうお判りでしょう。
そう。
諏訪を守り通した、逆に言えば天孫族が攻め落とせなかったのがミシャグチだと考えられます。
で、相互不可侵の協定によって、「タケミカヅチがタケミナカタに圧勝し、タケミナカタは敗走した」という天孫族の勝利宣言をミシャグチは容認した。タケミナカタを名乗ることと引き換えに、ミシャグチは諏訪の独立性維持を得た。
元々が小さかった前宮が諏訪大社という立派な神社になったのは、出雲大社と同様、國譲りという名の終戦協定の結果なのでしょう。どちらも「大社」ですし。
ついぞ高天原が侵略できなかった相手としては他に。
天香香背男(天津甕星)や荒覇吐などがあり、共に朝廷に従わないならず者の悪神とされてますね。
支配できなかった腹癒せでしょうか。
まあ、あくまでも素人の自説に過ぎませんよ念のため。