不成就日 (旧暦 文月三日)

 招き猫考ふたたび。



 招き猫の発祥に諸説あることは前にも語りました。
 主に、

 豪徳寺
 今戸焼説
 遊郭

 の三つと思われます。

 一番よく知られているのは豪徳寺由来説ですね。とは言え、これが一番怪しいと個人的には思っています。
 根拠は簡単。以前、豪徳寺を参拝させていただいたとき、お寺の人(お坊さんではなく女性だったので、ご住職のお身内か、単なる職員さんなのか)の対応が礼を欠いた上から目線で腹立ったからです(爆)。あんな訪問客に冷たい処が招き猫の発祥地なはずがありません(怒)。
 話を真面目に戻します。詳しくは知りませんが、偉い殿様が豪徳寺の前を通りかかったとき、猫が招いたので入ったことで難を逃れたとか何とか。その経緯を受けて、寺では招く猫の姿を象って縁起物にしたとか何とか。そんなところ? まあ詳細は、ぐぐっておくんなまし。

 次に、今戸焼由来説。
 ある人の飼い猫が死後に(あるいは生き別れた後に)夢に出てきて、「自分の姿を人形にして売ると良い」と助言したので従ったところ、商売繁盛した。
 とかいう話だったかな。これの土地が浅草の今戸であり、人形は今戸焼という焼き物だった。まあ詳細は……以下同文。
 今戸焼の招き猫は「丸〆猫」と呼ばれ、当時の人気アイテム&人気ブランドだったことは古い絵にも縁日の様子として残されていますし、出土品もあります。
 これね、解説本によっては「今戸猫」と呼称し、今戸神社由来のものと言ってたりするんですよね。妖之佑も、その本に騙されて長い間、今戸猫説を支持してきました。ところがぎっちょん、今戸神社は丸〆猫に便乗して後付け設定で招き猫由縁の神社を自称しているんですよね。いちおう地元なので大目に見てもいいと言えばいいんですが……どうにも釈然としない姿勢だと思います。

 三つめ。遊郭由来説。
 遊郭の茶屋が千客万来を期待して手招きする狐の像、所謂「招き狐」を飾ったのが始まりとか。人気者の花魁が、たいそう猫を可愛がっていたとか。いろいろあるようです。
 あるいは招く狐とやらが実は、狐は狐でも「尾っぽが無くて白粉をつける牝狐」という話も♪

 遊郭は、ともかく。
 豪徳寺今戸神社も招き猫を頒布していますが、残念なことにデザインがね。どちらも、我々の良く知るあのダルマのような輪郭を持った二頭身の招き猫なのですよ。それぞれ招き猫発祥を名乗っておきながら、これは如何なものかと。
 二頭身で丸っこくて目玉パッチリで正面向いて手を挙げている招き猫は常滑焼のデザインが元です。それも戦後のもの。なので、「発祥の地」を自称する処が配るには不適切なデザインです。そこ、考えてなかったのかなぁ。
 豪徳寺今戸神社は放置するとしまして。(を
 今戸焼説の根拠となる丸〆猫は、独特のデザインです。座った猫が上体だけ捻らせてこっちを向いて手を挙げている。目は常滑系と違って小さく、しかも俗に言う三白眼。多くの人がイメージする招き猫とは、かなり違います。ったく、豪徳寺今戸神社も少しくらい歴史を考察したデザインの物を頒布すればいいのにな。そうすりゃ格好良かったのに。
 妖之佑は、てっきり今戸神社が丸〆猫を頒布していると思い込んでいたものですから、かつて参拝して頂いたときには、「?」の群れが頭の中で「猫じゃ猫じゃ」を踊ったものでしたよ。遠方を訪問する際には、予めの調べ物を怠ってはいけませんね。

 破損しているとは言え出土品として最古の物が現存する。
 という事実から、言い伝えはともかくとして、妖之佑は今戸焼の丸〆猫を「頒布品としての招き猫」の元祖だと信じています。
 この丸〆猫は長らく製造が途絶えていたのが、資料を基にして個人的に再現されたかたがおられ、そのおかげで私たちも入手することができるようになりました。例えるなら『ARIA』の水の星アクアで再興された「ネオヴェネツィアングラス」みたいなものですね♪

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https://blog.goo.ne.jp/imadoki3
(再現版丸〆猫の作者さんのサイトとブログ)