三隣亡 (旧暦 皐月九日)

 二つほど補足的なヘボ考察。

 神様の専門は実験心理学と言ってましたな。実験心理学となると内観法。瞑想や禅とは厳密には違うものの、似たところはあって。
 その視点で考えてみますと、ナナキと対峙するということの意味が見えてきます。
 つまり自身の中にある強大な存在との対面。その対面に失敗すれば人として終わってしまう。とすると、ナナキというのは『仮面ライダーウィザード』のファントムみたいなものとも言えるわけで、要するにアブラメリンの魔術で言うところの守護天使ホーリー・ガーディアンということになります。
 そりゃ危険なわけだわ。
 ああ、補足しときますとね。聖守護天使って名称ではありますが、慈悲に満ちているとかそういうんじゃなく、対話に失敗すれば最悪、命を失いかねないほど扱いの難しい相手でしてね。だから極めて難易度の高い危険な魔術なのですよ、アブラメリンって(希代の魔術師アレイスタ・クロウリーが一度目は失敗、ヤバいことになったとされるのは有名な話)。
 無視するでもなく切り離すでもなく、ナナキとの共存を成功させるのが、この物語の到達点なのかな? 光宗は、かなりそれに近づいていると?

 病院での光宗に対する父親の様子や、ワイドショーらしきTV番組で「人生やり直しツアー」が話題になっていることからすると、ツアー参加者は完全に失踪者扱いになっているようですね。
 となると、参加者全員が幻覚を見ている説、夢の世界に取り込まれた説は成立しなくなります。神様がこちら側に戻った瞬間、ちゃんとかがんでいたことからも、納鳴村にいる人たちは実際に体を動かしているということが証明されますし。
 つまりは、身体的な活動をしているにもかかわらず、決して部外者に発見されることがない。
 認めたくはないが、状況からは納鳴村が異空間・亜空間・異次元の類であると解釈せざるを得なくなります。嗚呼、口惜しや。