八せん終わり (旧暦 神無月九日、亥の子餅)

 石原都知事が、震災の瓦礫受け入れを表明したところ。
 多数の苦情が都に寄せられたとのこと。

 都民全部ではないでしょうが。
 それでも「福島の、しかも汚染されているかもしれないゴミをどうして我々が?」という意識は、都民の皆さんに少なからずあるのでしょう。

 でもね。
 困ったときはお互い様の助け合い精神からすれば、津波被害の瓦礫処理に協力するのは当然のことです。
 都知事の言い分のほうが正しい。

 そして。
放射能汚染が怖い」という反対理由については。

 今まで膨大なる電力の恩恵を享受してきた都民のかたがたに、それを口に出して言う資格はない。

 と、あえて厳しく言わざるを得ません。
 それを言うなら、むしろ福島のかたがたの「なんで都の電力のために、自分たちが放射線におびえなければいけないんだ?」という辛さ、やるせなさのほうが先に出ますよ。当然ですよ。
 都の超文化的環境は、福島の犠牲(とは言い過ぎでしょうか?)のうえに成り立っていたのです。なら、こういう事態に至っては、都はむしろ積極的に汚染物質の処理すらをも請け負う義務があるはずです。

 だからね。
 少なくとも、原発反対をずっと訴えてきた人以外の都民のかたがたは、「瓦礫受け入れ反対」なんて言っちゃいけません。バチが当たります。都は検査をしてから持ち込むと言ってるんですから。
 いえ。むしろ、「汚染ゴミも持ってきてください」くらい言ってほしいですね。

 一義的責任は、嘘の安全神話を掲げて国民を騙し続けていた原発推進派の政治家、電力会社、学者、推進CM等々に出ていたタレントどもにありますが。
 自分で何も考えなかった市民にも責任は存在するんじゃないでしょうか。
 それを今になって、汚染物質という現実が出てきて初めて「都内に持ち込むな」は、ないでしょ。

 都に原発が必要とおっしゃるなら。
 やっぱり、お台場あたりに建設しましょうよ。
 それが筋ってもんです。

 田舎は原発が要るほどの電力は使いません。
 だから、田舎には原発など不要なんです。



 この問題。
 全国の大都市とその周辺にも、あてはまるんですよね。
 地方在住者とて、決して他人事じゃない。

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 一部訂正。
 瓦礫は福島ではなく、岩手のものでした。失礼いたしました。

 ただ。
 都知事の受け入れ姿勢に対する都民からの抗議が「福島の放射性物質」を嫌ってのものなのは変わりないので、ここでの妖之佑の主張も変わることはありません。