自分の中で「四横綱」と言えば。
平成初期の、千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士。
と。
20世紀末の、曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸。
の二つなんですよね。
昭和末期のは、後の「スポーツ冒険家」が、お話にならないレベルだし。
平成末期は二名が大問題児なので、これまた論外。
千北大旭のときも良かったんだけど。
大乃国関はフル出場で負け越すという不名誉記録を残した。
旭富士関は、申し訳ないけど、強いという印象が残っていない。
この時代は九重部屋一強な感じでしたからねぇ。
曙貴若武の頃は本当に土俵が充実していたと感じます。
特に、曙×貴はガチンコで♪
曙関がね、同期の若貴に凄いライバル心を持ってて。
おかげで、令和の今では想像もつかないほどの真剣勝負が展開された。
実際、強かったですよ、曙関。
つーか。
あれだけ大活躍、協会に貢献した横綱にちゃんと引退後の席を確保してやれない協会って何なんですかね(怒)。
曙だけでなく若貴も協会に残っていて理事会に入ってたなら、今の腐った協会とは別物になっていたことでしょう。
残念でなりません。
同郷の先輩である大関小錦を寄り切った後に一礼したのが印象に強く残っています。後が無かった小錦関は、この直後に引退しましたっけ。
別部屋ではありますが、これも「恩返し」でしたね。
ただ、脚の長い人ですから、相撲のあれこれが辛かったんじゃないかな。
土俵入りも、体重の負荷が、見ていて厳しそうでした。
膝の軟骨が、ほとんど磨り切れてしまってたという話も。
なので、廃業後にプロレスに転身しても、なかなか上手くいかなかった。
晩年の闘病生活も、遡れば相撲部屋の生活が原因だったのかもしれません。
そう思うと、やはり大相撲も時代に合わせて変化すべきではないかと。
若い力士の体を壊してまで目方を増やすのは時代遅れすぎます。
軽量力士が土俵上で技の応酬でも、充分に観応えあると思います。
立ち合いのぶつかり合いでの体重による有利不利は、もうルールから考え直そうよ。
合掌。