コミカライズ蜘蛛子さん、面白いわー。
おかげで、蜘蛛子さんと魔王が仲良くなった経緯が理解できた(原作なろう版も、ここまでは描いてなかったと思う)。
と同時に、根岸さんと岡ちゃんの因縁も理解できた。間にポティマスが入ってたアレ以外に、直接のぶつかり合いがあったんですね(原作なろう版も、以下同文)。
そしてそして、人魔大戦の時点では、あの賑やかな並列意思たちはもはや存在しないことも判った(つか、魔法担当1号2号があんなことに……だから、その他大勢の並列意志たちの一部が辛うじて残滓として残ったワケね)。
なんでアニメは、この重要な箇所をやらんかったのかな。
まー、アニメ版は勇者パートに尺を取りすぎてましたからね。だから、あれこれ中途半端に終わってしまった。
二期ありきを大前提にした構成だったのかもね。
あのガタガタぶりでは、もはや無理そうですが二期(苦笑)。頼みの綱は原作本の売れ行きのみ。それでも旬というのがあるからなあ……完結していることもあって、二期は難しいかやっぱり。
コミカライズ版は蜘蛛子さんパートに徹しているから、スイスイと頭に入ってくる。
ひょっとして。
アニメ版で勇者パートを。
コミカライズ版で蜘蛛子さんパートを。
それぞれメインにするって大局的方針でも、あったのかな?
もしそうなら、そりゃ失敗するわアニメ。
だって主人公は蜘蛛子さんなんだからサー。蜘蛛子さんを出しつつも山田くんに重心置く意味なんて無いやん。
もしもコミカライズ版とアニメ版との間に分厚いパーティションを設置するなら。
それこそ、もっともっと徹底的に蜘蛛子さんパートと勇者パートを別物として制作したほうが良かったんじゃないかな。
実際、コミカライズ版は蜘蛛子さんパートのみなんだし。アニメ版を蜘蛛子さんの七転八倒から十数年後の物語に徹底するのは可能だったと思う。
実際のアニメ版で明らかですが、蜘蛛子さんパートと勇者パートを混合するのは高度なテクが必要なのでリスキー。並行して同時進行する群像劇と違って、そもそも時代が違う話だからね。
これやって大失敗したのが『仮面ライダーキバ』だった。あれも、一年を2クール×2に分けて、前半を紅音也編、後半を紅渡編にしたら、観られたものになったかもしれない。あるいは第一話だけ現代の紅渡を活躍させて、第二話から半年間を過去の紅音也物語にして、で3クール目からまた渡に戻す。とかさ。
蜘蛛子さん原作文庫判は読んでないので何も申せませんが、おそらく、そのあたりの調整は巧みにこなしておられるものと思います。作者が物語を一番判ってるわけですし。
それと、文章作品と映像作品は別物ですからね。効果もリスクも違うでしょう。
つか、原作なろう版も、人間パートってそこまで多くなかったはず。ん? 記憶違い?