昨日の日記で意図的に「確信犯」を誤用しましたので、そのフォローっぽいことなどをば。
そもそもの意味は。
罪人として追及されることを承知・覚悟のうえで、自分の価値観に基づく正義や信条のために実行する姿勢。
これを確信犯とするそうですね。主に殉教者や政治犯のこと。
つまり、ナザレのイエスや日蓮上人、吉田松陰などが、これに当たるでしょうか。
もちろん「弾圧は不当だ」との主張も伴いましょうが、それでも権力者によって処断される危険性は覚悟していたはずです、イエスも日蓮も。
で、今の主流派である誤用版の確信犯はと言いますと。
犯罪であることを承知で実行するが、その動機はエゴからくるもので、「バレなきゃラッキー」と思っており、捕まる気などサラサラない。
あるいは。
自分の行動が傍迷惑なのを承知のうえで実行、その動機は身勝手からのものであり、迷惑行為に怒る人々を挑発する行為までを含む。無論、謝罪や責任を取る気などサラサラない。
あたりではないかと。
正式の確信犯とは志の度合いがダンチで低いですね。ゲスと言っていいレベル。
誤用が常用されて正式になっていく。というのは言葉の変遷として昔から多々あることですが。
元々が崇高だった「確信犯」という言葉が何だか気の毒になってきますね。(;^_^A