納めの地蔵、三隣亡 (旧暦 霜月十八日)

 こないだの『チコちゃん』にて。
「クリスマス・イヴはクリスマス前夜ではなくクリスマスの夜(イヴニング)そのものだ」というのをやってまして、ああなるほど、と目から鱗でした。
 つまり、カレンダー上の十二月二十四日の夜は、昔の考えかたでは二十五日の始まりである、ということですね。だから二十四日の夜が「クリスマスの夜」なのだと。サンタさんは、ちゃんとクリスマスの夜、つまり二十五日の夜間に活動していらっしゃるわけです。
 イヴを前夜祭と考えていた自分が恥ずかしい……。orz

 日没を一日の始まり(終わり)とする。
 かつて日本でそうだったというのは知っていました。
 例えば、旧暦の霜月と師走では辰の日の夜に百鬼夜行があるとされてまして、それを今風に解釈しますと「辰の日の日没から」となるのですが、あえて妖之佑はカレンダー上での前夜から当日の日の出までを百鬼夜行と考えています。
 また、庚申待ちについても、カレンダー上の庚申当日の夜ではなく、前夜から日の出までを庚申待ちの徹夜にあてるべきと考えています。
 て言うか、日没が日付変更ポイントなら、↑の考えしか成立しないと思います。

 ただ一点、疑問なのは時刻の刻みかたですね。
 ご存じのとおり、昔の時刻表示では、今の午前零時を「こく」とし以降、丑の刻、寅の刻、卯の刻……と、干支の十二を一日に割り振ります。なので一ときは今の二時間に相当。ちなみに、今でも使う「午前」「正午」「午後」というのは「正うまこく」を基準にした表現です。
 まあ厳密に言うと、干支それぞれで「上刻」「正刻(中刻)」「下刻」と分かれるんですけどね。例えば「子の上刻」は二十三時、「子の正刻(中刻)」は零時、「子の下刻」は一時、みたくね。
 なので、時刻表示としては真夜中を切り替えポイントにしている。にも関わらず、日付の切り替わりは日没だという……不思議です。
 あれかな? 知識層が厳格にルール作りをしたものと、実生活のうえに成立した習俗とでの隔たりかな? 時の長さも、厳密にした定時法(今と同じ考えかた)と、日照時間に合わせた不定時法(昼と夜で一刻の長さが違うし、夏至冬至でも違う)とがあったように。
古典落語『時蕎麦』にある時刻表示、「九つ」「八つ」「七つ」……というのについては、また別の機会に)

 ともあれ、まさか欧羅巴でもそうだったとは知りませんでした。
 チコちゃんに叱られても仕方ありません。はひ。

 メリー・クリスマス。