穀雨 (旧暦 弥生廿四日)

 そばかす女の目が、いちいち怖いんだが……。

 アルミン、同期の女子をきっちりチェックしていたとは、実はムッツリだったんだなと小一時間(笑)。
 ここに来て、あのちっこい娘がキー・パーソンになるって、さすがに予想がつきませんよ。前回なんて、サシャとの会話で終始そばかすの背中に頭突きかましてたくらいだし。寝顔、可愛いし。

 発言しようとするアルミンの口を塞いだり、サシャは餌付けしてるし、ハンジさんは相変わらずの素晴らしさですね。
 サシャもなー、あんな事があった直後なのに、蒸かし芋一個であそこまで幸せになれるなんて、かなりの大物だよなー(笑)。

 さて。EDを考えてみましたが。
 ガーゴイルみたいな、ドラゴンみたいな変なのから人が何かを受け取っているような絵。あれが「人を巨人にする技術」なのかな。
 司祭っぽい人の前でカニバリズムが展開する絵は、巨人の食人行為を模しているのか、あるいは…………。
 他は、人と巨人との闘い、と言うか人が巨人に蹂躙される絵と言うべきか。

 ついでにOPの絵から気になるところとして。
「心臓を捧げよ」の歌詞あたりから、人だけでなく巨人や動物たちにも心臓を示す光が描かれている。そして、あの猿みたいな巨人を中心に行進する動物たちも、巨人を含めて皆、光がある。
 つまり、心臓は動物に一個ずつあって皆同じ。ということは命の重みに人と動物で差はない、ということか?
 と考えて、あらためて行進を観ると、巨人が動物たちを従えて人類を蹴散らしているように思えてならない。
 ってことは、巨人化の技術がどうやって編み出されたかはともかく、それを人類粛正に使っているのではないかと。それは要するに、人類によって荒らされた世界の浄化であろうと。
 猿の巨人は人類を減らそうとしているのであろう。
 と読めるのですよね。

 ただまあ、そんな安直な真相でいいのかな、とも思うのですよ。
 作者さん、かなり考え深く作っておられるようですからね。
 妖之佑の読みなんて的外れもいいトコなんだろーなー、と。