(旧暦 卯月十九日)

 山岡が、ゆう子にプロポーズしたあたりで読むのやめてます。
 最近の傾向など、まったく知りませんし、読む気もないのです。
 ですから、話題になっている描写について肯定も否定もしません。できませんから。

 ただね。
 一連の流れがね。

 ある傾向の思想を持つ層を本気で怒らせるネタを扱ったため、その層から出版社に強力な圧力がかかった。

 ように外野からは見えてしまうのですよ。
 とりわけ今は安倍というヒットラーの尻尾が政権を握っており、日々のすべてが着実に右翼化へと進んでいる日本ですからね。そう想像できて、あたりまえ。

 いつから日本は、こんな表現の不自由な国になった?

 という声もありますが。
 事、放射線被害に関しては、日本は昔っから発言者・発信者が袋叩きにされる社会ですよ。

 今回の騒動も同類でしょ?
 と解釈するのも、いたしかたないのではありませんかね。

 ああ、怖い怖い。

 個人的にはね。
 放射線なんて目に見えない代物は「疑わしきは罰する」姿勢でいないと危険だと思います。
 つまり確固たる安全証明がない限りは、「危険性がある」という前提で構えるべき。でないと身を守れません。

 今回、「抗議」という名の作品攻撃をしている組織や個々人は本気で福島が安全だと思っているのでしょうか。「安全だろう」という程度で安全宣言では、はっきり言って不用心にすぎる気がします。
 私は福島の復興を願ってはいますが、それには残念ながら長い年月がかかるだろうとも思います。相手は目に見えない放射線であり、何より「安全」を連呼する政府と東電が、いちいち信用できませんからね。



 だーかーらー。
 扱いに困るほどに厄介な危険ゴミを出しまくる原発なんて、やめろ!
 ってんだよ。