望、三隣亡 (旧暦 閏如月十六日)

 これも現状を考えたうえでの一つの選択肢でしょう。
 不敬だと思う人は何も言わず、参詣しなければいい。それだけのこと。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4d3903232e837d270c6e7cfdebaa8093aeec9081

 個人的には、よくこの発想が出たなあ、と。
 これ、ひょっとしたらジワジワと全国に流行るんじゃね?
 このお寺には商売上手さん(誉めてます)がおられるようで。
 今の御朱印ブームに乗っかって、イラスト入りの限定御朱印を次々と出しておられますし。
 いや、可愛いんだわ絵柄が。オイラも御小女郎稲荷様の限定御朱印を拝領しましたよ♪

 建物は近代ビルで。
 その中にある納骨堂は、利用者がIDカードで入館するというセキュリティで。
 ビル上側には、でっかいカラクリ時計があって。
 手前には、玉を七つ揃えたら願いを聞いてくれそうなの(笑)もいて霧吹いたり水吐いたり色が変わったり。

 だからと言って、まったく新しいお寺ではなく、長い伝統のある佛閣なのです。
 何せ、織田信秀菩提寺ですからね。
 と言って判らない人には。
 信秀の葬儀で奇抜な格好をした大うつけ息子が抹香を乱暴に掴んで位牌に投げつけた、日本史上でよく知られる出来事の舞台。
 と言えば、お判りいただけるかと。

 元々は曹洞宗だったのが、今はどの宗派にも属さない単立寺院。
 だから、新しい試みも次々と取り入れることができるんでしょうね。
 十三宗のどれかに属していたら、いちいち総本山や大本山の許可取りが必要でしょうから。



 ちなみに。
 同じく大須商店街にある大須観音では。
 かなり前から、お賽銭用にと、百円玉を十円玉にしてくれる両替機を設置しておられます。
 オイラの見た限り、参拝客よりは商店街の人の利用が多いっぽいですけどね。
 きっと、それも想定しての両替機なのでしょう。

 世知辛い今の世では、神社佛閣も現実的対応が必要なんですよ。
 その意味では、御朱印ブームも神社佛閣を救うことに繋がっているのではないかと。取り分け、小さな処は積極的にデザインを工夫した御朱印の連発によって息を吹き返しているわけですし。
 これらを不敬と斬って捨てる人は、札束でも寄進して、困窮しているお寺や神社を助けるべきだと思います。

 一つ意見を言わせていただきますとね。
 小銭の持ち合わせが無いうえに専用コインの販売が気に入らないなら、本堂・拝殿で拝む際に、お賽銭を入れなければいいのです。お賽銭は絶対ではないですからね。
 そもそも拝むときに願い事を言うものではなく、あくまでも拝礼つまりは神佛への御挨拶に過ぎません。いや別に、お願いしてもいいんですけどね。
 で、合格祈願だの交通安全だの縁結びだの子宝だの世界平和だのを願うのにタダでは申し訳ないと思うなら、御守りとか絵馬とか御札とかを頂くとか、祈祷をお願いすればいいのです。
 参詣だけなら小銭なんて、そもそも必須じゃありません。
 神社佛閣は拝観無料が多数派ですから、お参りって実は一銭も使わずできるんですよ。
 祈願だって、例えばお百度を踏むのにお金なんて要りませんし。

 だからさ。
 賽銭どうこうで、いちいち騒ぐなっての。もっと根っ子を見ろや。
 つか、コメントで手厳しくお寺批判してる連中って、まともに参拝なんてしたことなく今後も絶対に行かない層だろ。(藁



 ああ。
 もう一つ言っときますと。
 日本に入ってきた時点で佛教は、ゴータマ・シッダールタが提唱した思想とは、かけ離れています。何なら別モノと言っていい。『スッタニパータ』と『法華経』を読み比べたら莫迦でも判ります。
 なので、「今のお寺は御釋迦様の教えから逸脱どうのこうのあーたらこーたら」という批判は成立しません。聖徳太子の頃から日本のお寺は、ゴータマの教えとは違っているのです。やいのやいの言ってる人は、ただただ滑稽に過ぎませんよ。
 つか、そもそもゴータマの思想は宗教ではないのですよね。言ってみれば人生論とか哲学。もっとザックリ言うなら「誰でも幸せになれる方法。あなたは、もっと楽に生きられる」あたりが妥当かと。

 そう言えば。
 別のお寺で、若い僧侶さんの手首にアップルウォッチを見ましたよ。
 時代ですな~。
 と言いたいところですが、実のところ、平安や鎌倉と大差ないのかもしれません。
 少なくとも徳川の世のお寺とは変わりないはず(笑)。