我が家のワンコが亡くなって早いもので、もう一年過ぎてしまいました。
ペットについてチラホラと耳にしますのが、
「虹の橋を渡った」
という表現。
実は理解していなかったので、今回ちゃんと調べてみました。まあ、Wikipedia でですけどね。
『Rainbow Bridge』という作者不詳の詩があるんだそうですね。かなり古いものらしく。
で、詩を読んだ結果とんでもない事実を知ることに。
ペットたちは虹の橋を渡っていない。
どゆこと?(タモさん調)
つまりです。
虹の橋とは周知のとおり天国に続く橋。これは、まちがいない。
が、実は亡くなったペットたちは虹の橋のたもとにある楽園に行くんだそうですね。そこで他のペットたちと仲良く楽しく暮らしている。
はい。この時点で、みんな橋を渡っていません。橋の手前で遊んでいます。
では、いつ渡るのか?
待ち人が来たときです。
待ち人とは、もちろん大好きな飼い主のこと。
つまり、ペットたちは虹の橋のたもとで飼い主が来るのを待っているわけです。なので、飼い主がペットを弔ったり思い出したりしている段階では、ペットは橋を渡っていない。
ということですね。
ずーっと長い間を待って、ある日、遠くによく知った人影を見つけたペットが嬉しそうに駆け寄って飛びついて、そして一緒に虹の橋を渡る。
やべ。
涙出てきた。
ちなみに、我が家のワンコたちはオイラを待っていてはくれないと思います。
なぜなら、最後の子が亡くなって半年後、我が家が何度もワンコを飼う原因となった、要するに犬好きの父親が亡くなりましたからね。みんな父親と一緒に虹の橋を渡ったはずなので、オイラを誰も待っててはくれないことになる……あぅ。
一方で、ペットは亡くなるとすぐに毛皮を着替えて飼い主の所に戻ってくる、とも言いますね。
でも、我が家では一度として、毛皮を着替えて帰ってきてはくれなかったな。最後の子の場合は、帰ってきてくれても、もう飼ってやれないと考えてますけどね(今回の闘病にかかりすぎて、新たに二十年は経済的にも体力的にも無理なのだよ)。
蛇足となりそうですが。
↑の詩のように、スピリチュアル的には、あの世もしくはこの世でペットと再会できるとされますが。
宗教的には再会は不可能らしい。どの宗派でも人以外の生き物に対する正式な供養がありませんからね。佛教なんて輪廻転生だから、ワンコやニャンコは、とっくに他の生命に転生してるし。人は人で下手すると畜生道に堕ちるし。
どちらを取るかと言われれば、虹の橋であれ毛皮の着替えであれ、スピリチュアルの解釈を選びたいですね。
こういった解釈については『銀河鉄道999』の「ミーくんの命の館」が秀逸でしたね。