(旧暦 如月十五日、涅槃会)

 まあですね。
 年末年始のあれこれゴタゴタを経まして。
 いろいろ思うところも出てきたわけですよ。

 そんな中。
 縁起というものについて、ついつい考え込んでしまいます。

 元々が、神社佛閣や縁起物には興味があるほうでしたから、気をつけないと迷信に振り回されかねない性格なのですよね。
 いや、さすがに真っ黄色な財布を使ったことはありませんが(笑)。

 さて。
 我が家の玄関には、可愛らしいワンコの置物があります。
 先代犬が亡くなったときに、淋しがった母が買ってきたものです。
 で、最近になり、↑の理由から縁起に関する情報をあれこれぐぐっていまして。
「玄関に犬の置物はNG」
 という文章をしょっちゅう見かけるわけなのですよ。

 さあ、妖之佑の脆弱で流されやすい神経がワナワナし始めました。
「犬の置物を置くなら裏口」
 という記述まであり…………もちろん移動しませんでした。
 だって、可愛いワンコを裏口にだなんて、可哀想じゃありませんか。

 どうやら、犬と玄関の組み合わせを凶とするのは風水についての文章のようです。
 試しに「-風水」を追加して、ぐぐりなおしてみたところ、「犬を玄関にはダメ」という記述は、ほとんど消えてしまいました。
 つまりワンコを目の敵にして否定していたのは風水なのですね。
 それなら何か判る気がしてきました。
 だって風水は大陸の文化ですよね。で、あちらにとって、犬という生き物は基本「食用」です。
 この点で、犬に対する感覚・感性が日本とまったく違うわけです。
 ならば、日本人が日本に住むための環境にて、「玄関に犬はバツ」という考えかたは不要なのではないかと思います。

 いや、そもそも日本の家相・地相とて、ルーツを辿れば陰陽道から道教にまで遡りますから、大陸のものが駄目ということではありません。
 が、風水は日本にそぐわないでしょ。
 そもそも、今ほどに日本に風水が流行った主原因は、かの荒俣宏さんです。
 ですが、当の荒俣さんは「風水は土地についての学問で、特に墓地のことに詳しい」と言っておられました。住居や、ましてインテリアなんて関係ないとも。
 どこで歪んだんですかね。

 ともかく。
 犬を悪者にするのは風水だけと判ったので、ワンコの置物は引き続き玄関に座っててもらうことにします。
 考えたら、もう十数年以上、玄関に座ってるんですから、凶相なわけないですよね。

 誤解されないように申しますが。
 家相そのものを否定するつもりはありません。
 陰陽道の考えである「四神相応」、つまり「北に山、東に川、西に道、南に低地」というのは、北半球の土地であれば理想的な環境です。
 北は背なので、山を背にするのは鉄壁の防御(ポツンと一軒家が典型的)。
 南に高いものを置かないのは陽当たりを確保するため。
 西が道なら目塞ぎを兼ねて壁や塀、生け垣などを置くので結果的に西日や西風を防ぐことにもなる。
 東に川というのは、水の確保のこと。で、川を置くなら東がベターということでしょう。
 逆張りすれば、もっとよく判ります。
 南や東に高いものがあれば陽当たり最悪。西に何もなければ西日がジリジリ。北に何もないと北風ビュウビュウ。ほぼ「北向きの格安物件」ですね。
 本来、「四神相応」は陣地とか都を作るための思想ではありますが、この考えに沿って自宅を構成しても理に適った配置になるのは自明の理だと思います。池を北に掘るとか、大木を南に植えたりは、普通しないでしょ。



 チョンマゲ時代の赤沢文治という人は、たいそうな信心家で、吉凶の方角を徹底的に守っていたそうです。
 で、その結果……家族が次々と死にました。財産も失いました。本人も重病に倒れました。
 後に「金神七殺」と言われたこの祟りをきっかけに、赤沢さんは考えをあらためたそうです(ご本人的には「神様の声を聞いた」)。
 この神様のお言葉によると、方角の吉凶を気にする所謂「方違え」は、むしろ神様の隙・死角を狙う不敬に当たるとのこと。なので、本人の勝手の良い方角が、そのまま吉方である。という考えに転じました。
 そして自分が体現した神様をお祀りし、自身も金光大神に改名までしたそうです。
 もちろん、方角を気にするのをやめて以降、祟りは起こらなかったそうな。



「鰯の頭も信心から」などという言葉もあります。
 方角やアイテムの吉凶を無視しろとまでは言いません。妖之佑も縁起物大好きなわけですし。
 ただ、気にしすぎて神経質になるのは、むしろ逆効果にならんかと。

 かつて、ウチの父は、珍しい花が手に入ったと喜んで庭に植えまして。
 それをご近所の人に「幽霊草で縁起が悪い」と言われて、ソッコー抜いてしまいました。
 ユニークな形の花なのに、もったいないことをしたものです。
 ついでに言えば、その「幽霊草」なる話もまちがいで、まったく関係ない品種だったというオチまでつきました。
 仮に幽霊草だったとしても、その正式名は銀竜草。名前に「竜」が付くなんて、むしろ縁起が良いんじゃないかとすら思えますね。

 当時の絶対的な宗教から勇敢にも離脱した、お釈迦さんやキリストさんレベルになる必要なんて、ありゃしませんが。
 周囲の情報に振り回されず、自分の考え、自分の都合、自分の感性を大切にするのは、たぶん基本事項なのですよね。