(旧暦 閏卯月九日)

 あくまでも妖之佑の手前勝手な思考です。
 だから、まちがってても、ご自分の意見と相違があっても、怒らんでくださいな。



 1970年代の堀江美都子さん、ささきいさおさん、子門真人さん、水木一郎さん。これは鉄板中の鉄板。
 1980年代は串田アキラさん、影山ヒロノブさん、遠藤正明さんが圧倒的三役かな。このお三方には届かないながら、MIO(現・MIQ)さんとか鮎川麻弥さんとかも。
 ところが、1990年代以降は「アニソン歌手」という人は米倉千尋さん以外、見当たらないんですよね。その、ちっひーとて、失礼ながら広く一般に知られるほどではない。『エヴァ』でアニメファンに知られるようになった高橋洋子さんも「アニソン歌手」とまでは呼べない。
 90年代だと、むしろ TWO-MIX高山みなみさんあたりがアニソン歌手としての活動をされていたかな(メイン活動が声優ではありますが)。いや、声優言うなら、林原閣下こそ 90年代を暴れちゃったアニソン歌手かもですね。
 2000年代に入ると、この傾向はますます強くなって。アニソン一筋(含・特撮ソング)という歌手は JAM Project松本梨香さん(本業声優さんですが)以外、少なくとも妖之佑の知る範囲では見当たりません。もちろんアニソンいろいろ歌ってる人はいるけど、アニソン専門とは呼べない。ヘッド奈々や、すみぺが「ほぼアニソン歌手」ではありますが、やはり本業声優さんですし。つまり 2000年代以降は「アニソン歌手もやってます」という人だらけ。
 21世紀は逆に、70~80年代出身のベテラン勢がもー元気で元気で♪

 当て推量なのですが。80年代がアニソンにとってのターニング・ポイントだったようには思いますね。
 それまでのアニソンは「主題歌」と言われたとおり、作品にガッチリ合わせて作られていた。歌詞にちゃんと「マ・ジ・ン・ガーーーー」とか「ガンダムぅーガンダムっ」とか入ってましたからね。
 それが 80年代、アニメ本編の固有名詞や専門用語の一切入らない“主題歌”が多く出回るようになった(もちろん 70年代にも『炎のたからもの』とかとか)。判りやすい例が『シティーハンター』の楽曲あれこれでしょう。要は、カッコいい曲を持ってきてアニメのOPやEDに据えちまう、というパターン。あるいは、作り手に物語のテーマだけを伝えて(あるいは、それすらせず)、あとは好きに作詞作曲してもらう形かな。ともかく、主題歌というより独立した曲になっていった。ある意味、アニメ作品と音楽アーティストのコラボ、あるいはジョイント?
 90年代以降は、もうそっちのほうが圧倒的多数派でしょう。だから「アニソン歌手」が減ったんだろうな。
 逆に、そのおかげで音楽アーティストがアニソンに関わりやすくなった、敷居が低くなった、という利点はあるでしょうね。今、何かのOP曲とか担当しているアニソン専門でない人は嬉しそうに話しますからね。「曲だけでなく、本編も面白いですから!」とか熱弁したり♪
 これね。80年代は一部のアーティストの態度が酷かった。新曲のプロモでラジオ番組にゲスト出演してた某アーティストが「自分の曲とアニメは別物。一緒にするな」と番組内で公言してましたから。司会の人がアニメ作品に触れようとすると「知らない、観る気もない、そもそも興味ない」と不機嫌に拒否してた。自作品が「主題歌」であることを嫌っているのがラジオから伝わりましたよ。こんな人にアニメに関わってほしくなかったな、というのがオイラの印象でした。ネット社会の今なら炎上モノでしょうね(苦笑)。
 意識の違いなんだろうな。当時は、一般のロックやポップス > アニソン、という上下関係が音楽アーティストの脳内にはあったのでしょう。60~70年代の特撮作品が「ジャリ番」と呼ばれTV局の「窓際」扱いされていたのと同様。だから自分の曲がアニメのOPに採用というのが、安物扱いされたという感情になってしまったのかもですね。まー、そういう偉ぶった連中に限って、実はたいしたロックでもポップスでもない、ただ型にはめただけの中身空っぽ三流曲揃いなんですけどね(妖之佑個人の評価♪)。
 主題歌だからというだけで下に見るのは、誤解もはなはだしいし、アニメや特撮に真剣に関わっている人すべてに対する侮辱なんだがな。
 なお、↑で挙げたアニメ作品と不心得者アーティストの名前は、ここに書きません。ちゃんと憶えてますが(というか根に持ってる♪♪)、詳細での記憶違いもあるかもですから。



 今は、いいですよね。
 アニメにしろ特撮にしろ、熱く語っても昔ほど煙たがられませんから。て言うか、著名人が堂々と「観た」「聴いた」と言ってくれますから。おかげさまで庶民レベルでの意識も良い方向にいっていると思います。
 思うに、かつて漫画が歩んだ苦難の道と同じなのでしょうね。その昔、手塚治虫石森章太郎という名前は教職やPTA、さらには文化人知識人等々の石頭どもにとっては目の敵、それこそ叩かれまくっていたものです。それが今では偉人・神様扱いですから。

 サブカルに生きる趣味者は常に闘いを強いられるものなのかもしれません。
 別に闘いたくはないんだけどな~。
 前進! ウラー!