十日夜 (旧暦 神無月十日)

 NHK『美の壺』は、そもそも隠れた美を掘り起こすものだったはずです。
 OP映像で谷啓さんの言っていた「あ、あんなところにも美が隠れてた」という台詞が番組の趣旨を明確に語っています。

 なのに、今のときたら、最初っから美となるべくして作られた意図的な美について解説するばかり。それでは美術教科書の文章並みに単純至極な内容しか出てきません。なぜなら、意図して作られた美において、その美に対する解釈は作り手の意図に沿った一つしか正解がないからです。
 だから、つまらんのだと蕎麦の回を観て、ようやくのこと気づいた次第(蕎麦の配膳に店側が配慮するのは当然だが、それをどう見るかはお客一人ひとりの勝手だろう。正解なんて、あってはならんのだよ)。

 言っときますが。
 古伊万里古備前などは今でこそ古美術品として扱われていますが、作られた当時は普段使いの器だったんですからね。まちがっても美術品として作られたわけじゃない。古備前で有名な「牡丹餅」という模様も、単に粘土の不純物質が作り出した偶然の産物。だから、そのランダム性が面白いのですよ。伊賀や信楽の、藁が燃えてできる自然釉も、そう。
 なのに、それを今の陶工は意図的に作っている。だから、つまらんのです(化学が発達しすぎて偶然を頼れなくなっている分、現場はやりづらいかも。という同情はありますけどね)。

 今の『美の壺』には、現代陶工が意図的に作る牡丹餅同様の、ざーとらしさがありすぎです。悪い意味での文化人カラーがあって胡散臭い。
 草刈さんに責任はないんだけど、とにかくつまらんです。
 製作スタッフが全交替でもしてるのかなぁ。まあ、放送開始が2006年だから、代わっててあたりまえか。



 谷さん版の再放送を地デジでやっとくれよー。