(旧暦 水無月十六日、嘉祥)

 柔道の国際大会があるたびに思うこと。
 つか愚痴。



 残念ながら、柔道と JUDO は、やはりまったくの別物だと再認識せざるをえませんね。
 嘆かわしいことですが。

 尻餅ついた相手をグイグイ力任せに押して転がすのが、どこが「一本」だよ?
 ましてポイント制なんて……、素人審判による主観たっぷりの旗判定なんて……。
 あんな試合展開や判定、嘉納治五郎先生が嘆いておられるに決まってます。

 そもそも柔道とは、一本を取って初めて勝敗が決する格技です。
 そして「一本」とは、背中が畳につくことではなく、相手の体勢が反撃不可能な状態、例えるなら相撲で言う「死に体」のようになっていることを示します。
 背中がつくのは、あくまでも一本が成立したことの結果にすぎないワケ。

 大相撲には「勇み足」と「送り足」というものがあります。
 勇み足は広く知られているもので、相手を突いたり押したりして攻めている側がうっかり相手より先に土俵を踏み越してしまう負けかたですよね。
 一方の送り足とは、敵を吊り上げて土俵外まで運ぶ際に足が踏み越すもので、踏み越しても、そのまま相手の体を土俵外に置けば、負けとはならないのです。なぜなら完全に吊り上げられた相手は反撃不可能の状態なので、そんな相手が勝つ理屈にはならないから。つまり実態をきちんと見た判定方法なのです。

 背中がつけば杓子定規に無条件で一本なんて。
 ポイント貯めたほうが勝ちだなんて。
 安物レスリングじゃあるまいし。
 ねぇ。
(旗判定がないことや、ポイントに関する明確な規定があるため、レスリングは JUDO に比べて、はるかに観ていて面白いですよ)