(旧暦 如月十四日)

 『リュウの道』
 『リュウの道』全4巻
  石ノ森章太郎/秋田文庫


サイボーグ009 天使編』の尻切れトンボに愕然とし。
サイボーグ009 神々との闘い編』の尻切れトンボに呆然とし。
 そして『サイボーグ009 完結編』の出来に絶望した、あるいは怒り心頭。
 そんな人に読んでいただきたい作品。それが『リュウの道』だと考えます。

『天使編』が当時のSF大作映画『2001: A Space Odyssey』および『Planet of The Apes』に触発されたものだというのは、多くのかたがたがお考えの説だと思います。
『2001: A Space Odyssey』は、神(と思しき地球外知性)が地球の進化に干渉する物語。
『Planet of The Apes』は、人類滅亡後の地球を類人猿が支配する物語。
 009たちの前に現れた天使が語る地球の歴史、そして天使が「はじめからやりなおすための実験」として村人たちを猿に変えたこと、というように、ともに『天使編』の要素として使われています。
 二作品とも公開が 1968年。そして『天使編』の連載開始が 1969年ですから、時系列的にも辻褄が合います。

 しかしながらご存じのとおり、『天使編』は「作者も登場人物も疲れてしまった」ことを理由に中断。
 その実、四ヶ月後には『神々との闘い編』が開始されるのですから、そこまで深刻な“疲労”でもなかったようで、『天使編』中断の理由は他にあったのでしょう。
 そして、これまたご存じのとおり、『神々との闘い編』もまた中断されてしまうわけです。
『天使編』が 1969年の1〜6月連載、『神々との闘い編』が同年の 10月から翌年12月までですので、両作品は作者の頭の中でほぼ繋がっていると言っていいペースです。

 ここからは完全に妖之佑の個人的推測なのですが。

 二つのSF映画に触発された石森さんは、いてもたってもいられなくなり『天使編』を開始したものの、脳内で次々と展開されるストーリに、ペンを持つ手がついていかなかったのではないかと思うのです。電子演算に物理的動作が追いつけない、ということですね。そしてまた、『神々との闘い編』が『COM』連載となったことからすると、『冒険王』での連載には表現上の制約もあったのかもしれません。
 で、仕切り直しとなる『神々との闘い編』では雑誌『COM』に移動。
『COM』というのは、漫画家に商業上の縛りを与えずに伸び伸びと執筆してほしい(つーか、ぶっちゃけ、手塚先生が阿呆な編集の雑音を受けずに『火の鳥』を描きたかった)という意図で立ち上げられた雑誌だと解釈しています。実際、『COM』の仮想敵は『ガロ』だったようですし(笑)。
 つまり、『天使編』が『神々との闘い編』と名を変えて『COM』に移動したのは、『天使編』にあった編集サイドの意向を排除するためだったのかもしれない。
 にも関わらず『神々との闘い編』も頓挫。その後、石ノ森さんご本人による009たちの最後の物語は、ついに発表されることなく終わるのでした。



  ど う し て こ う な っ た ?



 その答が『リュウの道』にあるのだと思います。
 あらためて時系列を整理しましょう。

『天使編』1969年1〜6月
『神々との闘い編』1969年10月〜1970年12月
リュウの道』1969年4月〜1970年12月

 お判りでしょう。『009』と『リュウ』の連載期間がモロに被っています。
 ここから推測するに、石森さんは『Planet of The Apes』と、そして特に『2001: A Space Odyssey』で受けた発想を具体的な形にする際、方向性に迷っておられたのではないかと。なので一つのアイデアを二つのルートで併走したのではないかと(当時の石森さんの仕事量ときたら、まだまだお若かったからできた超強行軍ですね)。
 で、『リュウの道』はゴールに到達、一方の『009』は迷い道に入り込んでしまった?
 ある意味で、石森さんのモチベーションは『リュウの道』で燃焼しつくされたのかもしれません。なら無理に『天使編』の続きをやらなくても、ということ。

 さて。これだけ語れば充分でしょう。
 内容については、あえて触れません。ぜひ読んでみてください。
 特に『009 完結編』に振り回されたかたがたには『リュウの道』を強くオススメいたします。あるいは『天使編』が進んだかもしれない“道”を垣間見ることができると思います。


リュウの道』には実はプロトタイプと呼ぶべき短編が別に存在します。
 おそらく、この短編を素材として、後の触発された要素を加えて大幅改造、大作にまで完成させたのが『リュウの道』なのでしょう。