鬼が出るか蛇が出るか
とありますが。
さすがに鬼と蛇を同格にするのは、どうかと。
それとも、ここで言う蛇は大蛇とかなのかな?
鬼が出るか蛇が出るか
とありますが。
さすがに鬼と蛇を同格にするのは、どうかと。
それとも、ここで言う蛇は大蛇とかなのかな?
あの弾みっぷりは何なんだ素材(笑)。
新品シャンプーを半分以上使ってしまうジャヒー様。
どんだけ髪に脂が溜まってたんだか……つか、洗髪でも三つ編みを解かないのは魔界のマナーなのか?
サルワは、いいアパートに住んでますな。
何して稼いでるのか気になります。はい。
「スキヨシ」の次は「テレビジョン」っスか。
どこまでも空耳やりますねぇタモさん。
恵比寿様の元は蛭子で、出来損ない。どのくらい醜かったのかは気になるところです。
そして、今では子宝・安産の神様として親しまれている淡島さんも、蛭子の次に産まれた出来損ないだった。
ご両名とも漂着神となってから出世なさった。
淡島と淡路島の名称類似には何か意味があるのかもですね。
タモさんは地質と地図のほうだけで、伝承にはそこまで興味をお持ちじゃないからなぁ。
ちなみに水切り遊びは、プロだぞオイラ。
『うどん団兵衛』という短編シリーズがありました。
腕の立つ素浪人・団兵衛が活躍する、シンプルな勧善懲悪時代劇です。
団兵衛は文無しで無類のうどん好きで図々しくお調子者。でも情に厚い。
池波正太郎さんの作品を劇画化したものと違い、完全オリジナルであり、しかも軽いノリ。そこが魅力です。
細かなところまできちんと時代考証された作品でもあった。とも思います。
時代モノの劇画・漫画となると大半は東映時代劇の背景を借用しただけの考証ゼロな作品てんこ盛りの中、抜きん出ていたのが小池一夫さんの『子連れ狼』の他には、この『うどん団兵衛』だと個人的には思っています。
思えば、この頃はとっくに完全分業システムを取り入れておられたわけで、資料集めチームだけでなく時代考証チームもあったのでしょうね。
妖之佑は『ゴルゴ13』は、ほとんど読んでないのですよ実は。
むしろ『サバイバル』に入れ込んでましたね。
今では誤情報扱いされる箇所もあるかもですが、とにかく山盛りのサバイバル知識が凄かった。宿営地のそばに無造作に生ゴミを捨ててはならぬと、この作品で知りましたよオイラ。
社屋がTVで紹介されていた(『探検バクモン』だったかな?)のを観ましたが。銃器の資料担当氏の仕事が凄まじくてねー。
発売されているモデルガンやガスガンを収集するのはもちろんのこと、商品模型化されていない銃器は写真を元にフルスクラッチしてでも立体を作る。でないと作画の資料にならない。
「この話で使うから」ではなく「いつか使うことがあるかもしれないから」というのがスタンスだったと記憶しています。確か背景用のロケハンも、報道記事などのスクラップも、その姿勢だったかと。要は資料のデータベース化を目指していた。
例えば「ニューヨークを舞台にするからニューヨークの写真を集めよう」じゃないんです。「ニューヨークの景色を出して」即「はい、これです」ってレベル。
ここが素晴らしい。
はっきり申し上げて、資料や考証を重要視する点において、あの手塚、石ノ森ご両名をも遙かに上回っておられたと思います。
『ゴルゴ』大好きな秋本治さんは、このあたりを分業システムともども、かなり意識して見習っておられる節がありますよね。だからこそ『こち亀』は描き込みが細かい。受賞デビュー作品でもあったコミック本第1話なんて、両さんの制服が変態レベルの細かさだった♪ きっと実際の派出所に取材に行ってドン引きされたんだろうなぁ(笑)。
あと忘れてならぬのが『バロム・1』。
特撮の『超人バロム・1』を先に観ていると、トラウマになりかねん(笑)。
なにせ、二人の少年が合体変身したヒーローがモロおっさんだから(爆)。
TVで拝見したとき、デューク・東郷の顔にペン入れする際にマジックで大胆に眉毛をベタ塗りしておられたのが印象的でした。
合掌。
アバルト 595 のMT車が三百万円~。
ケーターハム Seven 170 が五百万円越え。
楽しそうな車って、お高いですねぇ……。
もしもスズキがカプチの新型を出してくれるなら、二百万円チョイでいける気がする。
そんな気配ゼロだけど。orz
AT限定免許なんて出来なきゃよかったんだよっ。(暴言♪
少年マガジンでの闘いの日々に疲れ果てた鬼太郎が南の島に渡り隠居した「その後の鬼太郎」の正統続編です。
南の島でのんびり暮らしていた鬼太郎が、一時的に来日して事件解決にあたる物語。鬼太郎は、事件が終わるとまた南の島に帰ります。
なので、これより後に発表された『鬼太郎の世界お化け旅行』などとは世界線が分岐していると考えられます。と言うか、『死神大戦記』以外で、鬼太郎の南の島在住に触れたものって無いんですよね。『死神大戦記』以外のどの作品でも鬼太郎は日本に住み続けている。
世界規模の天変地異が起こり大騒ぎになる。
世界を救うべく選ばれた子供たちが立ち上がる。
そこに、金儲けの匂いを嗅ぎつけたねずみ男にそそのかされた鬼太郎が南の島から来日して参戦。
また、漫画家・水木しげるも偶然出会った子供たちに協力を申し出る。
敵は悪魔の軍勢と、それに従う西洋モンスター群。
“鬼太郎サーガ”の中でも、かなりの分量を誇る大作ですが。
これ、お話を作ったのは水木サンではないんですよね。これは明言されています。
さらに、読んでみて感じますが。
これ、作画の大半も水木サンじゃないですよね。鬼太郎とねずみ男以外は、すべて別の人が描いてる。一部、鬼太郎たちですら水木サンのペンとは思えない出来。
丸投げとまでは言いませんが、かなりの部分を水木プロに任せていたんじゃないかなと思えてなりません。下手すると名前だけ?
その意味では、後々の『最新版ゲゲゲの鬼太郎』の同類なのかもしれませんね。
作品が言いたいことは理解できなくもないですが、とにかく描き手がテーマに振り回されてる印象です。分量のわりに消化できてない。
水木サン主導なら、ありえないでしょう。
好意的に見るなら。
演出不足・描写不足なのは神話を意識したからかもしれません。つまり叙事詩を目指した作風。
だとしても、漫画を媒体にするのに叙事詩形式は、ないわな。うん。