朔 (旧暦 葉月朔日)

 手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』に『土砂降り』という話があります。
 雑誌掲載時は『メス』を前編、『土砂降り』を後編としてあったものが単行本収録時に一本の『土砂降り』となったエピソードです。

 以下、ネタバレを含みます。




















 恩人の医師に礼をするため離島を訪れたBJ。
 だが、その医師は小学校裏で起きた崖崩れから児童を守って亡くなっていた。
 医師の妹が、兄の遺志を継いで女医として島の診療所を守っている。
(ここまでが『メス』の部分)

 女医さんは常々、島の顔役たちに、崩れやすい崖の補強工事をお願いしていた。
 しかし、村長たちは国から貰った補強工事の費用を立派な講堂の建設に流用してしまっていた。抗議する女医さんを、顔役たちが取り囲んで「あれ以上崩れるはずがない」と一蹴。
 そして、長雨のために崖崩れが発生。女医さんは児童をかばい生き埋めとなって命を落とす。
(こちらが旧『土砂降り』の部分)

 決定権を持つ者たちの愚かな行為で、島に貢献してきた医師兄妹を死なせてしまう、いわば恩を仇で返す話です(アニメ版のヌルすぎるスタッフどもは愚かにも、『万引犬』のラルゴ同様に、この女医さんを生かしてしまいましたけどね)。これから先、この島は無医村となるわけです。
 ちなみに、女医さんと児童が重体となっているその場で、危険な崖を放置し続けてきた村長は「死んだら責任問題だー」と自分のことばかり心配し、みっともなくわめきちらしていました。BJが村長に対して手術料に講堂の建築費用全額分を請求したのは、せめてもの罰だったのでしょう。

 この作品、1977年に初出ですから、読んだ人の中には現在、立派な大人になっている人も、かなりの数おられると思います。
 鬼怒川の自然堤防を削った企業の中にも読者がいることでしょう。それを監視・指導すべき役所の中にも読者がいることでしょう。
 ですが、手塚先生が発した大切なメッセージは、その連中には一切伝わらなかったのです。