(旧暦 睦月三日)

 地上波初登場、ということで観ました。

 たしかに、この作品にて引退表明なさった宮崎監督の集大成である。
 と言えると思います。


 冒頭、夢に出てきた、屋根から離陸する小型飛行機。
 主翼が、ラピュタのロボット、あるいは永田重工のラムダそっくり。

 別の夢にて。
 二郎がカプローニ氏に招待されて入った飛行艇の小部屋。
 銭形警部(?)がアルバトロス号艇内に招かれたシーンの再現。

 同じ夢にて。
 その飛行艇の中や外で明るく盛り上がる人々の様子。
 トンボの人力飛行機に盛り上がる悪友たちや、飛行船に盛り上がるコリコの町の人々に被る。
 て言うか、少年二郎のキャラデザが、トンボそのものやろ(笑)。青年二郎は、サツキとメイのお父さんを若くした外見だし(まあ、ぶっちゃけ言っちまうと、トンボも、お父さんも、監督の自画像なんですよね、きっと)。

 さらにカプローニ氏の夢にて。
 空を覆い尽くす軍用機の群れは、『豚』のあの不穏な空気に共通(そう言や、豚野郎も元は伊太利亜空軍パイロットだったな)。

 鯖の骨の流線型に見とれたり設計に没頭する二郎の技術屋バカなところは、フィオと同類♪

 カプローニ氏との最後の対面にて。
 無数のゼロが二郎に挨拶したのち、遙か上空の“川”に合流していく。
 まんま、“飛行艇の墓場”じゃないか。


 たぶん、まだまだ見落としがあると思いますが。
 とにかく、監督ご自身で大量のセルフ・カバーをなさっている。これにて辞める気、満々ですね。
 面白いと思ったのは、セルフ・カバーの対象に、『もののけ姫』以降の作品が含まれていないことです(見落としてるだけかもですが)。つまり、監督ご自身、『もののけ』以降の自作品に何らかの違和感的なものを感じ続けておられたのかもしれませんね。
 個人的には、『もののけ』が宮崎作品のターニング・ポイントであり、その次の『千と千尋』から急速な劣化が始まると考えています。


 震災のシーンとか、試作機のエンジン始動時のSEは、人の声ですよね。
 不気味でした(他にもあるのでしょうが、一回観ただけの私が、はっきり認識できたのが、この二つのシーン)。

 二郎や菜穂子もですが。黒川さんも、かなり良い家の人ですよね。
 奥さんが煮炊きするシーンを見ても、土間が広いし、奉公人の数がハンパない。
 昭和初期が舞台ですが、黒川さん宅は徳川の世の様子が残ってるって感じで。

 ところで、あのベジタリアンな独逸人って何者だったんですかね。
 どう見ても、ただ者ではない気がしました。ナチ党を批判していたところからすると、その前の政権下で情報部にでもいたのかな? かなりの切れ者ではあるでしょうね。だからこそ、第三帝国と同じ道を進みつつある日本からも姿を消した、と。


 面白かったかどうかと問われると、答えに窮するところではあるのです。
 ただ、もしもまた放送されたら、たぶん観ます。
 何より、「空を飛ぶ」というのは宮崎作品にとりメイン・テーマですからね。この「飛ぶ」シーンが魅力的であれば、宮崎作品として成功している。『ナウシカ』や『ラピュタ』は言うに及ばず、『トトロ』然り『魔女宅』然り『豚』然り。
(だからこそ、飛ばない『もののけ』は転換期だし、『千』以降はダメダメなのだよ)。
 その意味でも、これが監督の集大成という位置付けとなる点について、納得がいくというものです。派手なパワーなどはありませんが、“締め”としては良かったんじゃないでしょうか。

 ただ……。
 主人公のキャスティングは、やはり納得がいきませんでした。
 理由は公開もされているようですが、それを知ったうえでなお、納得がいきません。
 まー、話題作り目的でアイドル・タレントとかを起用されるより、なんぼもマシですが。