上弦 (旧暦 弥生八日)

 ちょいと映画館の上映スケジュールを調べてまして。

 そこで、見つけてしまったのです。
ロボコップ』なるタイトルを。

 新作、と言うかリメイクされてたんですね。知りませんでした。

 それにしても、予告編画像を観てみまして。

 あの軽快な動きが「ロボコップ」とは到底、思えない!

 のですよね。まったくの別物って感じで。

 あそこまで変えるのなら、「ロボコップ」である必要なんてなく、完全新作にすればいいのでは? と疑問に思いました。
 なのに、マスク部分は、きっちり過去作品のデザインを引き継いでる。けど動きは全然違う。

 偉大なるハリウッドにして創作に煮詰まっているのかな?

 まあ、かつてのロボコップは、そのデザインを宇宙刑事ギャバンから公式に拝借しているそうで。その意味では、あの外見で機敏な動きというのがあっても、問題があるわけではない。
(もっとも個人的には、士郎政宗さんの『アップルシード』に出てきた警官ロボット「コットス」から取ってるんじゃないかと勘ぐってますけどね、旧ロボコップのデザイン。ついでに言うと、舞台設定はOVA『バブルガムクライシス』に似てる気がせんでもない)

 昨今、映画『I, Robot』のように、機械でできたロボットによる飛んだり跳ねたりが映像作品で普通になってきているので、ロボコップも身軽になったのでしょうか。
 前の『ロボコップ』は20世紀の末に世に出た作品ということも考慮すると、今のロボコップが身軽なことを一方的には批判できないのかもしれません。

 が。
 それでも。
 やはり、激変させるくらいなら、タイトルの流用などしないほうがフェアだと、そう考えるのですよ。
 タイトルだけ使い回すというのは、宣伝効果を期待してのこと。そう解釈するなら、制作者には「卑怯者」という言葉すら謹んで贈りたくなります。

 もっとも。
 U.S.A. にはアイアンマンという歴史的ヒーローがいて、新生ロボコップは、アイアンマンのパクリではないか、という意見も少なくないようですけどねー。



 前作は、デトロイト財政破綻してしまい、警察を大手兵器メーカーが出資・運営するという異様な社会状況下での物語でしたが。
 今、現実の各国各都市の財政破綻ぶりを見るにつけ、あらためて唸らされます。

 新作『ロボコップ』に、そういった意欲的部分があるのかどうか。
 成功するか否かは、そこに鍵があるかもしれませんね。