(旧暦 文月廿九日)

『神ない』って不思議な作品ですね。

 銃器や車などのメカ・アイテムが、まったくの現代で。でも社会体系や文明レベルはメチャクチャで、行く先々それぞれで独自の文化・社会が構成されていて。はっきり言って世界がチグハグ。まあ神様に見捨てられて十五年経った世界ですから、壊れてて当然っちゃ当然なのですが……。
 主人公が空回り(というのは言いすぎか?)しており、ストーリをまったく制御していない点も凄いです。にもかかわらず物語として成立しているのが、また凄い(あえて悪く言うなら、雰囲気で納得させている?)。

 アイが生まれ育った死者の谷では、ともかくとしても(なにせ、ここで大事件が起こらないことには、アイは旅立てませんからね)。
 オルタスでもゴーラ学園でも、その地のありかた、ルールを否定するが、けっきょくは何もできない。いちおう行動するものの、ほぼ徒労に終わる。アイがいてもいなくても、ウッラはキリコとラブラブだし、学園の生徒たちは脱走したことでしょう。そしてその後も、オルタスは生者を死者にして受け入れ続けるし、ゴーラ学園は人さらいを続ける。何も変わらない、アイがいてもいなくても。
 オルタスでアイがウッラに真相を教えるところ。ゴーラ学園で脱走を教師に見つかったところ。ともにクライマックスのはずですが、たいして山場もなく、あっさりと通過する。育児放棄したスカーさんを呼び戻したのもアイではなくユリーだし。
 解決とかカタルシスとか、そーゆーのすべてを最初っから捨てている構成。

 普通なら「やおい」(山なし、落ちなし、意味なし)と叩かれるはずなのです。
 が、『神ない』は叩かれない。むしろ支持されている(なにせ大賞受賞作ですから)。
 あれこれ言ってる妖之佑も面白いと感じて観続けてますし。

 こういうのは論理じゃないんですよね。センス“だけ”が物を言う。
 誤解を恐れずに言えば『神ない』の世界にロジックなんてありません。あえて暴言的に言うなら、世界は作者の都合良いようにデタラメにできている。
 例えば、スカーさんを探して荒野を走るワーゲン・タイプ2(なぜかロゴは「VW」ではないですが)。視聴者がガソリンの心配をすると、そこには廃墟となったガソリン・スタンドがあって補給できましたとさ。……都合良すぎでしょ!? まるで夢邪鬼が作った亀の背中の友引町だよ。とっくに略奪されてるっつーの、フツーなら。
 また、ここでの、同じ顔をした墓守がワラワラとわくシーンは見ものではあるものの、たぶんそれに関するきちんとした考証・設定は一切されていないと思う。考えてみれば、便利な「異能」にしても同様だろうね。
 そんな、ご都合主義満載にもかかわらず作品が崩壊しないのは作り手のセンスなのでしょう。

 こればっかりは逆立ちしても真似できないわー。

 雰囲気が何かに似てると思ってるのですが。
 あれかな。
キノの旅』とか、あと『キーリ』にも似てるのかも。
 さらに遡ると『銀河鉄道999』に行き着きますか。鉄郎も訪れる駅々で自分の価値観を否定される社会構図や人生観を見せつけられて。でも、そのたびに何もできず基本、傍観者で終わってしまう。そんな鉄郎を乗せて999号は次の駅を目指す。

 どれもこれもセンスが光ってる作品、いや、「寓話」と表現するべきかな。

 羨ましいですよ本当に。
 左脳から理屈から入る私では、どうやっても届かない場所なのでしょう。orz

 ただなあ。賞への応募作品に目をつけてもらうには、どうしても個性が必要で。
 となると、どうしたってセンスの光るブツを書かないことには前進のしようがない。うぐぅ
 いっそ、ダメ元で「山なし落ちなし意味なし」な原稿を書いてみるか? 「やおい」を三百枚だなんて、かーなーりしんどそうだし、成果なく無駄に終わるの見え見えだけど……。



 ところで。
 あくまでも個人的に、あくまでも一般的な作品全体に対してですがね。
 考証がまったくされていない世界観ってのが我慢ならんのですよ。特に、どこかの国や時代と現代の日本とを何も考えずに安直に混ぜこぜにしたやつ。
 そんなんやるくらいなら、作者が一から全部好き勝手に作り上げる異世界ファンタジー異世界RPG世界にしてくれ、と言いたいのです。