(旧暦 弥生廿一日、弘法大師忌)

SPACE BATTLESHIP ヤマト』が地上波に降りたので、観ました。

 うーん。
 やっぱり『ヤマト』って、特攻精神の物語なのですかねぇ……。

 CGで再現されたヤマトやコスモゼロ、コスモタイガー(あれは、どう見てもブラックタイガーやろ)は、かなり楽しめました。
 足長のアナライザーは……あれはないわ。(;^_^A

 この実写劇場版。
 ストーリの軸とガミラスのヤマト攻略戦法をTVアニメ一期から、びっくり要素を小説版から、そして戦士たちの死に様を劇場版アニメ第二作から、それぞれ持ってきてますね。
 真田さん、斉藤、山本、徳川機関長、そして古代進の死にかたはすべて、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』そのままです。最後の特攻に臨む古代の前に亡霊がズラリと並ぶオカルト・シーンも含めてね(苦笑)。

 特攻美化の演出には常に不快感を抱く妖之佑ですから、こういう展開は当然のこと受け入れられません。

 ただね。
 アニメ第一期では、特攻を肯定してはいないのですよ。むしろ否定しています。
 第一話、古代守の指揮するミサイル艦「ゆきかぜ」が沖田艦を逃がすために特攻しようとするのを沖田艦長は必死で止めました。「今を耐え生き延びることが大切だ」と。聞く耳持たぬ守は、そのまま特攻しましたけどね。
 そのことを知った弟の古代進は、沖田を責めました。まるで沖田艦長は生き恥だとでも言うような勢いで。
 そんな侮辱に対して、沖田は何も言わず耐え、下っ端新兵である古代進の無礼を責めることもせず、最後の作戦(つまりは、ヤマトの出航)にすべてを賭けた。
 イスカンダルへの往復29万6000光年の長い旅で多くの犠牲者を出したヤマトですが、クルーが特攻したことは、ないのですよ。「自分を置いて行け」と言った山本はワープ開始ギリギリでヤマトに収容されましたし(実写版では森雪救出のエピソード)。ガミラスの施設を独り残って爆破しようという真田さんも「自殺する気はない」という台詞のとおり生き延びるチャンスには賭けてましたし生き延びましたし。

 それが、どういうわけか劇場版第二作『さらば』では、特攻のオンパレード。特攻の肯定。特攻の美化……いったい何があったんだ?
 ガトランティスの超巨大戦艦を前に絶望した古代に、沖田の霊が「まだ武器はある。おまえの命だ」と言う。それで古代は独りヤマトに残っての特攻を決意したわけですが。
 今思えば、古代に「命を武器にしろ」と言った沖田は、そして特攻の際に古代の前に並んだ故人たちも皆、死神だったのでしょう。

『さらば』公開直後のTV第二期では、特攻は影を潜めましたが。
 つか、『さらば』EDでテロップに出した「ヤマトは二度と姿を現さない」という、その舌の根も乾かぬうちにTV二期をやる(『さらば』は1978年の夏休み映画で、TV二期放送開始が同年10月)。しかも『さらば』のストーリをそのままなぞり、結末だけ生き残り仕様にするという劇場版全否定……あれは詐欺にすら思えた。

 TVスペシャル版『新たなる旅立ち』では、デスラー総統が特攻未遂、スターシャが自爆。
 劇場版第三作『永遠に』では、せっかく生きていた古代守が、長官を救うために自爆。
 TV三期では、新クルー土門と揚羽の二人が闘いで自ら命を捨てる。
 そして『完結編』では、せっかく復活した沖田艦長がヤマトで特攻。

 シリーズ化してからというもの、やたらと「愛」を語った作品でしたが、その中身は特攻美化という……。
 本当に何があったんだ?

 実写版では「生きて帰る仕事もある」という沖田艦長の重たい台詞がありましたが。それでも、あの結末だと、やはり特攻美化……ですよねぇ。

 アナライザー、イスカンダル(実質、スターシャと言うべきか)、デスラーの声がアニメと同じ。
 ナレーターに、アニメ版主題歌の人。
 というアニメ世代へのサービス精神もあった作品でしたが。

 特攻させずに勝利する道はなかったのかと、制作側には問いたいですね。

 自分としてはTV一期の最終回、ボロボロのヤマトが赤い地球に消えていって、そしてスーっと地球が青くなっていく、あの終わりかたが今でも大好きですよ。



 ついでに言っちまうと。
 全作品の中で最も悲惨なる『ヤマト』は小説版なのだよ。
 あれは読後感が鬱になる…………。


(さらなる余談ですが、公式サイトのスタッフ一覧に「松本零士」の名がないのは、さすがにお気の毒だと思いました。少なくともメカ・デザインに関しては、まちがいなく松本さんの功績なのにねぇ)