伊勢などの地域で門や玄関に注連縄や木札が飾られていたり、全国の祇園社と天王社で御守りが頒布されている「蘇民将来」。
これの元となった有名な伝説。
武塔神(後に、牛頭天王や素戔嗚尊と同一視される)という神様が旅の途中、お金持ちの巨旦将来の家に一夜の宿を請うたところ無礙に追い払われ。
で、巨旦の兄で貧乏な蘇民将来の家に行くと、貧しいなりに精一杯のもてなしを受けた。
蘇民将来の親切に対する武塔神の礼と、ドケチな巨旦への報いは諸説あるものの。
諸説の中で共通するのは、武塔神が蘇民将来の一族に子々孫々に渡り加護を与える、ということ。これが御守りになった由来。
似たような話として。
『妖怪人間ベム』で、行った先々で雨宿りなどお願いするベムたち三人は、たいてい邪険にされます。
で、渋々でも泊めてくれた家は、居合わせたベムたちの活躍で怪奇事件の難を逃れる。
うん。似てるな。
で、言いたいのは、ここから。
神様が普通に旅してる世ならまだしも。
令和の今、見ず知らずの旅人を迎え入れるのはリスキーすぎるわけです。
泊めたら実は賊だった、ってのが十二分にありうる。
でも、警戒して神様を怒らせたら、天罰下りますし。
神様の怒りを買うか、賊の手にかかるか。
運が良ければ、神の御加護を頂けたり、素敵な出逢いに恵まれたりする。
究極の二択ですな。
いったいどうすればいいのやら。
ヒッチハイクも、そうなんですが。
困ってる人を無防備に助けられたのは、もはや遠い過去のお話。
もっと言えば、宿にしろヒッチハイクにしろ逆に、お願いする立場でのリスクもありますし。ねぇ。
「人を見たら泥棒と思え」
どころか今や、
「人を見たら強盗殺人犯と思え」
ですからね。
ホント、ヤな時代になっちまったもんです。