今さらなのですが。
『まどか☆マギカ』って、浄土思想だったんだな。
と気づいたのです。
それまでの。
人は死ぬと三途の川を渡って閻魔様に裁かれて、罪に応じた罰を地獄道、畜生道、餓鬼道で受ける。
「罪<徳」となれば極楽行きの判決が下るが、ほとんどの人間は罪深いので堕とされる。なにせ、純真無垢な子供ですら、親より先に死んだ罪を理由に獄卒から虐められ続けるわけだから。
という因果応報の思想から一転。
阿彌陀如來は菩薩時代に「すべての人を救う」という誓いを立てていた。なので、人は死ぬと阿彌陀如來によって救われ、西方浄土に転生する。地獄になど堕ちない。
という法然の考えから「専修念佛」という信仰形態が出てきた。これが浄土宗。
さてさて一方。
魔法少女は魔女と闘う闘わないに関わらず、ソウルジェムが濁っていく。限界まで濁ると魔女になってしまう。
濁ったソウルジェムは魔女がドロップするグリーフシードによって浄化できる。
なので、理屈では闘い続けて「濁り<浄化」のペースを守る限りは魔女化せずに済む。
とは言え、闘うことでも濁るので、どうしても「濁り>浄化」となってしまい、現実的に魔女化を逃れるのは難しい。
ところが。
まどかが「すべての魔法少女を救う」という願いと引き換えに魔法少女になったため、まどか自身が“まど神様”となり、過去現在未来すべての魔法少女を救う存在に昇華した。
このシステムのおかげで魔法少女たちは迷うことなく闘い、最後に迎えにきてくれるそれを「円環の理」と呼び、崇拝にも近い感情を抱いている。
同じやん。
濁り=罪
浄化=徳
魔女化=地獄堕ち
まど神様=阿彌陀如來
円環の理=西方浄土
と対比できますね。
『[新編]叛逆』の終盤で、ほむほむを迎えに来た“まど神様”と、それに従う、さやか&なぎさを含む大行列は、『阿彌陀二十五菩薩来迎図』そのままです。
とすると。
例の『ワルプルギスの廻天』では、阿彌陀様を切り離された西方浄土の様子も描かれるかもですね。
如來不在の浄土というのは佛教上ありえないので、さてどうなりますことか。
巷では「ワルプルギス=ほむほむ」説が、あいかわらず有力ですが。
個人的には、「ワルプルギス=主を失い暴走する円環の理」だと思うんですよね。
ちなみに、親鸞の浄土真宗では阿彌陀如來のみを拝むため、配下の二十五菩薩とかはスルーされます。勢至・観音の両脇侍すら無視です。
よって、『まど☆マギ』は浄土宗であっても浄土真宗ではない、と言えます。まど神様には両脇侍(さやか&なぎさ)がいますからね。