朔、雛祭 (旧暦 如月朔日)

 釣られてなるものか。
 と思いつつ、しっかり釣られます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c91251999ca0b14a17eef41c1df5d9c6306a1afa

 黙ってられますかって(笑)。
 いつもはゴミクズだらけなコメント群も、それぞれ思慮深くて、読んでて唸らされます。皆さん、お好きなんですね♪

 その評価が賛否両極端となる押井監督ですが、これだけは断言できると思います。

 もしも押井監督がいなかったら、TV版『うる星』は半年で終わっていた。

 言っちゃ悪いが、当時のフジTVの 19時台って、アニメ大量生産安かろう悪かろうの乱立枠だったんですよ。今の深夜アニメこそ、1クールだけなんてデフォですが、当時は一年前提としつつとりあえず2クール契約、ってな感じの進めかたが多かった。
 そんな中、なぜか水曜だけ当たり曜日になりました。そう、『アラレちゃん』&『うる星』からの『ドラゴンボール』&『めぞん一刻』という凄い歴史。この水曜枠最後の作品が『ワンピース』だったのも、ご存じのとおり。

 で、放送当初の『うる星』の出来も、乱立態勢のせいでか絵も演出も酷いものでした。原作大好きでアニメ化を楽しみにして観てみたら、愕然とさせられましたからね。
 そもそも『うる星』の話を 15分×2構成は無いですよ。るーみっくわーるどをナメるなよっ。19:30 からの『うる星』に続ける形で 19:00 から放送していた『アラレちゃん』に合わせたのかどうなのか、とにかく偉い人は『うる星』をジャリ番と捉えていたのでしょう。
 確かに原作の『うる星』は一話につき 16~20頁くらいの作品ですが、枚数に反して中身は濃い。『ブラック・ジャック』並みに濃い。それを一話15分でやれと? 無茶です。無理に押し込むからガタガタになってた。記事のコメントにもあるとおり「あたる源氏平安京にゆく」など最悪以下でした(でもこれは例外的に一話30分なんだよなあ不思議なことに)。
 実は、内容の酷さに呆れて早々に見限ったんですよね。だから「ときめきの聖夜」などを本放送では観ていない。
 で、半年後に開始されたのかな、裏番組の『無限軌道SSX』を観てましたね。なにせ世間は松本零士ムーヴメントでしたから(笑)。
 その間に『うる星』が化けていた、と知ったのは再放送でです(当時の地アナでは、本放送されてる期間でも過去話の再放送などザラだった)。なので、慌てて戻ったクチです。そのタイミングで記事にある「みじめ! 愛とさすらいの母!?」を観て、頭ガツンと殴られましたね。以降は必死に追っかけですよ。その流れで『ビューティフル・ドリーマー』を観たのですから、そりゃ凄かったね衝撃。
 当時、まだまだ高価だったVTR(β hi-fi)を無理して買ったのも、『うる星』を観逃したくないからが第一の理由。でも、残念ながらVTRを手に入れたのは押井監督が去って後のこと(汗)。まあ、再放送を録りましたけどね。

 話がそれた感じですが。
 第3クールから一話30分構成となり、TV版『うる星』は、ようやく本気モードに入ったと言えます。
 その先駆けが「ときめきの聖夜」であることには、反論などないものと思います。このエピソードのときは、まだ 30分二話構成の期間でした。つまりイレギュラーの構成で製作された希有な回の一つ(他は「あたる源氏平安京にゆく」「スペースお見合い大作戦」「春らんまんピクニック大騒動!」の三つ)。
 この第3クールから押井監督降板までは本当に面白い回が多かった。押井節暴走回もありましたが(苦笑)、大半は原作を巧みに増幅した傑作揃いです。これは 15分では不可能だった。

 TV版『うる星』が四年半も放送され、その間に劇場版が四作品も作られたのは、押井監督がいたからこそ。
 途中降板した押井監督ですが、その影響は放送終了まで続きましたからね。
 ただし、押井節を真似ようとして失速した回も少なくなかった。このあたりは後任の、やまざきかずお監督の限界だったと、失礼ながら解釈しています。劇場版第3、4作も、どこか押井監督の背中を追いかけている感じがしてならなかったですよ。作画は第1、2作に比べて桁違いに綺麗なんですけどね。

 スタッフには、チーフディレクター押井守を始めとして、後任チーフ・やまざきかずお伊藤和典高田明美遠藤麻未星山博之、小島多美子、早川啓二、山本優辻真先西村純二金春智子森山ゆうじ吉永尚之島田満、小華和ためお、西島克彦土器手司、林隆文、網野哲郎、鈴木行、土屋斗紀雄……などなど、さらには怪優(笑)・千葉繁も。ベテラン新鋭織り交ぜて、とんでも御殿なメンツが居並んでいたわけです(以上、敬称略。並びは思い出した順で他意は無い)。
 二度と揃わないだろうなあ、こんな才能集団。
 ああ、柳川茂氏と井上敏樹氏は意図して外しました(爆)。

 どうも話が迷走してしまいますが。(;^_^A
 自分は大好きな『ビューティフル・ドリーマー』と、そのプロトタイプと言える「みじめ! 愛とさすらいの母!?」ですが。これが原作ファンの何割かから酷評されている事実も知っていますし、いちおう理解もできます。
 さすがに高橋留美子さんが「激怒した」というのは尾鰭ではないかと思うのですが、高橋さんが困惑なさった、あるいは不快を覚えられたのは、まちがいないでしょう。これは、本気を出した才能同士のぶつかり合いだったと思います。なので波風立たないはずがない。

「原作を改編するのは悪だ。そんなのは駄作だ」とする原作絶対支持者に伺いたいのは。

 ならば、宮崎駿作品は、どうなんですか?

 ということ。
カリオストロの城』は駄作なのでしょうか?
魔女の宅急便』は悪なのでしょうか?

 宮崎駿は超一流の大御所だから何やっても許される。
 押井守は“野良犬”だから叩く。

 では、ただの差別に過ぎませんよ。
「みじめ! 愛とさすらいの母!?」や『ビューティフル・ドリーマー』を酷評する人の言葉に、どうも原作原理主義からくる感情論が見え隠れするのは気のせいなんでしょうか。
 創作者は創作してナンボです。そこに忖度は要らない。
 なので思うように創作して、その作品の出来で評価されるなら、それが酷評でも無問題なんじゃないかと思います。
 ですが、内容の質に目をつぶり、「原作を改編した」という点だけを取り上げて叩くのは筋違いだと、そう考えるのです。それは創作の芽を摘む愚行だとすら思います。

 私個人は、原作、押井版アニメともに大好きですよ、『うる星』。
 しょせん漫画とアニメは表現方法が違う。つまり別物と思えば、気にならないと思うんですけどねぇ。

 むしろ、原作の人気に乗っかって手抜きトレスする量産アニメのほうが罪だと思うわー。