初大師 (旧暦 師走十九日)

ハクション大魔王2020』


 録り溜めするにも程がある。一昨年だぜもう。
 とは言え、『サイコパス3』も『進撃』3以降も録っただけのまんまなんだが……(汗)。

 まあいい。

 この作品のスピンオフは何度か制作されましたが、どれも正統続編ではなかった。
 ために、カンちゃんと大魔王&アクビの涙の別れが消化されないのを理由に評価できませんでした。制作の姿勢が安直にしか思えなかった。ぶっちゃけ前作を踏みにじってるとしか。

『2020』はストレートな続編となっており、歳を経たカンちゃんも登場。五十年前のあの皆既月蝕の夜をきちんと引き継いでくれました。
 2クールありましたが、自分的にはカンちゃん再登場の第14話と最終話だけが重要でしたね。他はまあ失礼ながら平均点ということで。

 その第14話。
 仕事で海外に移住しているカンちゃんが一時帰国で大魔王&アクビと涙の再会。これは泣かされます。
 だって、五十年前に大大魔王様は「壺は百年、人の前から姿を消す」と宣言しましたからね。それはつまり魔王たちとカンちゃんとの永遠の別れを意味した。だからカンちゃんもパパもママも仲間たちも、魔王とアクビを回収しようとする壺に必死に逆らった。逆らって魔法の力に負けた。そして壺は月の彼方に消え去った。
 二度と魔王にもアクビにも会えないと諦めていた五十年後のカンちゃんが、ホテルで魔王とアクビの姿を見たときの気持ちを想像するだけで泣けてくる。同様に、五十年ぶりにカンちゃんに会えた魔王とアクビの感情にも揺さぶられます。声優さんは五十年前とすべて違いますが、見事に演じてくださったと思います(ちなみに、当時のカンちゃんとアクビの中の人は、いまだに磯野家で元気にやってるぞ)。
 大大魔王様から主権を引き継いだ大魔王がトップになった権限でルール変更して百年を五十年に短縮したというのは、ご都合主義と言えなくもないですが。まあ、いいじゃん♪ 律儀に百年後の話にしちまってカンちゃん没後を描くより、ずっと良い。魔王とアクビがカンちゃんの墓前で線香なんて観たくない。うん、やっぱり五十年で正解。大正解。

 最終話は、ほぼ五十年前の再現でした。悲劇の再現ね。
 プゥータの言うとおり「残酷」な結末でした。でも、この酷なところが『ハクション大魔王』なんですよ。だからいい。
 空に浮かぶ壺を必死に走って追いかけるカンちゃん(カン太郎)は、五十年前に壺を追いかけたカンちゃん(かんいち)そのもの。そして壺が月の彼方に消え去るのも同じ。
 こればっかりは大魔王でも、どうにもできない。さすがに別れを取りやめにはできない。
 だったら、そもそも町の人たちと仲良くならなければいいのに、アクビもプゥータも町に溶け込んでしまう。責任者の自覚があるのか大魔王は冷静に距離を置いていたため、クールに淡々と仕事を進めてましたけど。だから悲劇。特にカン太郎はアクビに強い感情を抱いたがため……残酷だよな。

 昨今の世情からすると、エピローグでやっちまうんじゃないかと心配してたんですよね。
 涙の別れから数ヶ月、唐突にアクビがカン太郎の前に。で、「女王になったからルール替えちゃった。おとたまもやったから、いいよね♪」とか。
 これやったら最悪だけど、今どきの作風って、こーゆー緩い甘ちゃんが多いからなぁ。不安だったんですよ。
 でも、やらなかった。さすが『2020』のスタッフは判ってらっしゃる。
 前作への敬意が強く感じられる良質な続編だったと思います。

 新キャラのプゥータは別として。
 五十年経ったから、アクビも成長したとして。
 でも、なんで大魔王までスリムな美形になるん? 壺の中限定の姿ったって、前作では壺の中でも、あの二頭身だったというのに。
 そこだけは納得いかんですよ。

 美形アクビは、ねこ姉さんと良い勝負だ。立体化を希望する。
「何でも美化すりゃいいってもんじゃない」けど、ねこ姉さんとアクビだけは支持するものであります。