良い記事、と言うか良い著述だと思いました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a04340871ba8e5c890d6e4dcfedfb23e19e6b09d
ドリフについて考えるとき、元々が真面目なジャズ・バンドだった事実を無視することはできないでしょう。
それを(主に)いかりやさんがコミックバンドへとシフト、最終的にコント集団に作り替えてしまった。
それもあってか、世間に広く知られるドリフの六人(荒井注さんを含む)に創世メンバーは一人もいません。
それでも、ビートルズ来日公演の時点で弟子入りすらしていなかった志村けんさんを除き、メンバー五人全員が辛うじて「プロ・ミュージシャン」の肩書きは持っていた。
正式メンバーの中、志村さんだけが唯一、コメディアン志望でドリフに入ったんですよね。ここ大事。テストに出ます。
さて。
記事中でも触れられている、当時の双璧の一翼、コント55号。
あれはアドリブというより、欽ちゃんが予め計画的に用意しておいた謂わば“二郎さんイジリ”ですね。もっと言えば猿回しならぬ“二郎さん回し”。どうイジれば回せば二郎さんを面白くできるか。
二郎さんの反応に対して、欽ちゃんがツッコミ入れるのはアドリブかもしれませんが、たぶん欽ちゃん、ある程度は二郎さんの動きを予測してたんじゃないのかな。二郎さんの人柄を熟知してたでしょうから。
一方、徹底的に稽古して台本を舞台上で正確に表現するという『全員集合』の形態に爆弾を放り込んだのが志村さん。
台本に無いボケを連発して、それでも会場に爆笑を起こすため、いかりやさんも怒るに怒れない。
これもまた、即興を意味するアドリブではなく、“計画的犯罪”ですね(笑)。それで確実に笑いを取るのが、当時からの「志村」の凄さ。
思うに、志村さんは四人の先輩を信頼していたんでしょう。自分が台本に無いことをいきなりやっても、先輩たちは即興で拾ってくれる、と。むしろ、志村さん以外の四人こそが、アドリブを強いられてたワケ(爆)。
二郎さんを信頼していた欽ちゃんと、共通するように感じます。
『全員集合』後の志村さんを見れば、行き当たりばったりではなく、きっちり笑いを組み立てる人だというのは、よく判る。
そして、欽ちゃんも、55号以外の活動からすると、徹底的に台本を完成させ、それを舞台で完璧に演じ上げる姿勢。フツオこと長江健次さんが、ずっと後に、何かのラジオ番組で「稽古がメチャクチャ厳しかった」と述懐しておられたと記憶してます。
長野五輪の閉会式で、一目瞭然。欽ちゃんは、あの完璧主義者であり徹底的自作自演主義者でもあるチャップリンのコスで登場しましたから(ただし、あの閉会式は長野五輪の汚点だと思う。あんな押しつけがましい臭い式に感動したという人の感性だけは、オイラは信用しない。名コント作家「萩本欽一」の驚くべき劣化ぶりに唖然としたよ)。
稽古に厳しかった、長さん。
その完成されたものを“計画的に”ぶち壊した「志村」。
そして完璧主義の欽ちゃん。
笑いには詳細な設計図が欠かせない。
ということを身をもって示した方々だと思います。
もう少し後になると、たけしさんとか、さんまさんとかが出てくるわけですが。
たけしさんは、ともかく。
さんまさんは珍獣レベルで異質ですね。
にしても。
『世界は笑う』って『全員集合』の裏番組だったのか。
そりゃ、55号も苦戦させられたわけだ。
そして、そんな『全員集合』の視聴率を『ひょうきん族』が喰ってしまう。世代交代だったのかな。