十方暮入 (旧暦 如月廿五日)

 三月末までEテレにて(実質的再)放送されていた『SHIROBAKO』。
 数年前の本放送のときには気づかなかった発見もあり、楽しめました。
 ほぼJKしか出てこない『けいおん!』とかも、いいですが。
 中年男にも、自ら枯れてしまっている大ベテランにも見せ場がある『SHIROBAKO』のスタンスは素晴らしいですね。

 以下、マジでダラダラと無駄に長いだけの駄文なので。(;^_^A


 この作品の主軸はもちろん、みゃーもりたち五人娘です。
 みんなで『七福神』を作るとドーナツに誓い合った五人が紆余曲折あって、終盤でようやく一つの作品にて合流できた。つまりスタートラインに立てた。
 ずかちゃんが収録で、ディーゼルさんの「一行だけ使ってもらえ」た(と思われる)、あの「少しだけ夢に近づきました」という台詞を喋るシーンで涙したのは、みゃーもりだけではありませんよね。
 ここだけ捉えれば、埃っぽくて黴臭い言いかたですが“青春群像劇”となるでしょう。

 ですが、お判りのとおり、併走する軸がもう一つ。
 もちろん、“業界あるある”だと思われるアニメ現場の紹介です。
えくそだすっ!』と『三女』という二つのアニメ作品をムサニが製作する過程においてのトラブルを可能な限り描く(いや、トラブル無いと起承転結や序破急にならないから)ことによって、アニメ現場を視聴者に知ってもらうという側面が大きい。
 主人公・みゃーもりが進行やデスクとしてあらゆる現場に走ることで、アニメの制作には本当に大勢の人が関わっていて、その人たちの繋がりが大切だと語っている。そう感じるのです。
 最終話、『三女』の打ち上げパーティーで乾杯の音頭を押し付けられた(笑)デスク・みゃーもりの少しだけ長い演説こそが、すべてでしょう。

えくそだすっ!』編とも言える第一クールではタローが物語の牽引役となります、悪い意味で。つまりトラブルメーカーとして、人同士の大切な繋がりをことごとく断ち切ってくれやがる。
 そこに、木下監督がスケジュールを狂わせまくるという燃料追加して、みゃーもりを追い詰めてくれる。
 二人とも悪意が無いだけにタチが悪いです(苦笑)。
 ギリギリ追い詰められないと本気が出ない芸術家気質の木下監督。報連相がまったくできないタロー。ともに社会人として不適合者です。
 そんなクズ(笑)二人の“活躍”のおかげで、アニメの現場あれこれを判りやすく浮き彫りにしてくれるわけです。
 他にも、すぐ仕事ほっぽり出す自転車男や、登場が第二クールですけど逃走癖のあるヒゲ仙人も。ヒゲ仙人なんて、矢野さんに「大人の人ってちゃんと仕事するのが当たり前だと思ってました」と、やんわり皮肉言われてましたっけ。

 タロー(と監督)で視聴者の脳味噌がウォームアップできたところに、第二クールが突きつけられます。

 あれほど視聴者のヘイトを一手に引き受けていたタローが単なるコメディ役に引っ込み、あまっさえ笑いまで誘う癒やし系となった第二クール、『三女』編。
 ここでの悪役は、それこそ時代劇の悪代官みたくステレオタイプです。それが原作漫画の担当編集者・茶沢。チャラ男かチンピラかという服装センスも、「変な話」という耳障りな口癖も、視聴者に印象付けるための判りやすい装飾ですね。
 茶沢はアニメになど一切の関心が無く、それどころかおそらく自分が担当する漫画作品にすら愛情ゼロ。興味があるのは著名出版社の社員である立場と、それによる高給だけだと思われます。そんなゲスだからこそ、放置しても仕事をこなしてくれる実力者・野亀先生と、立場的に逆らえないムサニを利用して、勤務時間中もロクに仕事しないで遊んでばかりいる。要領が良いとも言えますが、アニメにも漫画にも関わってほしくない人物ですね。
 いやまあ、現実にもいますけど、業種関係なくいますけど、茶沢タイプの迷惑者。

 それでも茶沢の言動は、演出上かなり誇張されていると思います。
『三女』の主人公・ありあのキャラデに対するダメ出しと、『三女』第13話の絵コンテに対する全没を伝える、原作者・野亀先生の転送メールは、ともに「野亀」名義です。対して、木下監督が先生のアドレスへ直に送信した「お目にかかってご相談させていただきたい」というメールへの返信は「ノガメ」名義。一連の転送メールと、監督への「了解しました」という返信とで、改行のしかたも違います。
 そう。茶沢は全文のコピペすら面倒くさがり、親指でチャチャッと超短文の転送メールをでっち上げたんですよ。キャラデに対して「何か違う」という漠然としたダメ出しは、野亀先生の言葉ではなかった。きっと先生は、もっと方向性の見える修正意見を出していたと思われます。
 そんな中、「可愛いと幼いは違う」という言葉を引っ張り出せたナベPは、たいした執念です。井口さんも、この一言だけから、よく頑張った。
 さらには、全没に対して葛城Pが「どうして今になって?」と問えば、「今になってコンテ見たからでしょ」と、ドタキャンの責任をシレッと先生になすりつけてる。とんでもない野郎だ。
 とまあ、そこまでして、茶沢を絵に描いたようなクズに作り上げたわけです。
 何のために?
 もちろん、視聴者に対して悪役を徹底的にこれでもかと判りやすくするために。

 なぜか。

 実は、こここそ、かつての視聴で妖之佑が愚かにも気づかなかったところなのです。

 茶沢の本当の役割は、真の“悪役”を隠すことです。
 ならば、真の悪役とは?
 言わずもがなでしょう。『三女』の版元、夜鷹書房です。
 大胆に言うなら、第二クールは原作の版元が如何にアニメ化の邪魔でしかないかを暗に描いた、ということではないかと。
 ただ、さすがにそれだと角が立つ。良い出版社、良い編集部も(いくつかは)存在する。なので出版業界全体を批判する意志などない。夜鷹書房の悪辣さを観て、現実の出版業界全体を悪く思わないでほしい。
 なので、黒幕の手前に判りやすい表向きの悪者を据えて、そこにヘイトを集める。黒幕については、判る人だけ判ってくれればいい、というスタンスなのでしょう。我々は、その思いを汲み、脳内で「今回のことで野亀先生は夜鷹書房に不信を抱き、新作は別の真っ当な出版社に移籍するだろう。ひょっとすると『三女』の権利すら夜鷹から引き上げるかも」と楽しい想像をすればいいのです。

 夜鷹書房ラスボス説の根拠は簡単です(なのに、かつては気づかなかった自分って……)。
 第13話絵コンテへのNGに対して、ナベPと葛城Pが夜鷹書房に乗り込み直談判したシーン。
 葛城Pは「今からやり直してたら間違いなくクオリティが落ちる」と現実的な問題を示したうえで、「然るべき手順を踏んで」「すべて確認をお願いしている」とムサニの正当性も主張。
 ナベPは「進めて良いっておっしゃいましたよね?」と茶沢の承認に触れた。それに対して茶沢は「あれは僕的にはの話。先生のOKが出たとは言ってない」と開き直る始末。
 同席している編集長に人間の大人としての平均的IQがあれば……いや、小学校高学年レベルの知恵があれば、騒動の元凶が茶沢だと嫌でも判るはず。
 て言うか、やりとりを聞いていた編集長は腹の中で「茶沢のやつ、またやらかしやがったな」と現状を理解したはずです。思うに、他社が請け負った『セーラー服とF3』のアニメ化が、平岡の言うところの「散々だった」結果になったのも、おそらく茶沢が原因でしょう。そのときも編集長は、すべての責任をアニメ会社に押し付け、野亀先生の怒りが編集部に及ぶのを回避したに違いありません。
 今回も、トラブルの原因が茶沢だという事実を認めるわけにはいかない。認めれば夜鷹書房の責任問題にも発展する。なら、弱い立場のムサニだけを悪者にすれば、すべて上手くいく。大丈夫だ問題ない。
 というのが、あの場での編集長の腹の内だったのは、想像に難くないです。
 でもって、「とにかく」という言葉で交渉を打ち切った。聞く耳持たず、ですな。

 そして。
 いくら編集長がアレだったとしても、茶沢は編集部からムサニに電話するとき自分の机に両足投げ出してます。机でロクに仕事してない証拠ですし、いくら格下相手の電話でも、そんな態度は社会人として許されません。普通の感覚ならね。真っ当な職場ならね。
 なのに、お咎めもお小言もなさそう。
 つまり、夜鷹書房の体質も茶沢と変わりない、ということ。単に無能な部下を放置していた監督不行き届き、なんてレベルではないのですよ。
 推測ですが、編集長も茶沢と同じようなこと、つまり上にへつらい下を生け贄にし、要領良く出世したクチなのでしょう。そもそもあの編集長、初登場時の態度も無礼の極みでした。社名をバックにマウントでしたからね。有能な人物とは、とても思えない。編集長の劣化したのが茶沢ということだな。
 本田さんに後押しされた木下監督の起死回生の手によって、結果的に野亀先生の前で事実が露呈。先生の怒りを知ると即座に、編集長は茶沢切り捨てへと方針転換。先生の目の前で「どういうことだね茶沢くん」と(真相を知ってるのに)責め立てる。編成局長が茶沢に「先生の担当に向いていない」と言えば「まったくです」と同調。いや、おまえ茶沢の直接の上司だろ。何、責任回避してんだよ。
 ナベPの麻雀仲間でもある編成局長は、みゃーもりへの対応(菅野監督への電話というフォロー)からすると、特に悪い人ではなさげですが。一方で、打ち上げパーティーの様子だと、相手によってコロコロ態度を変える人物なのは確かのようだし。うーん、どうだろうなぁ。
 ともかく、夜鷹書房は他社に対してマウント取るのが基本、ということは言えるかと。
 それが、第二クールが茶沢を隠れ蓑にして暗に言いたかったこと、なのだと思います。
 なんで当時、気づかなかったのかな自分。orz

 批判というより、これはアニメ業界からの出版業界への嘆願ではないかと思います。
 アニメ化に際し、もっと原作サイドと詰めた話し合いをさせてほしい。原作者と話し合いができないなら、一切の口出しをしないでほしい。とにかく、何が何でも両者の間に編集が入ろうとする姿勢・慣習をあらためてほしい。
 そういうことなんでしょうね。
 どうにも出版社は創作者同士の直接コンタクト、横の繋がりを快く思わない傾向があるようですから。木下監督に茶沢が言った「編集部通さねえで何勝手な事やってんだよ」は、言いかたと腹の内はアレですが本当のこと。あのときの監督は、あえて業界のルールを破る捨て身の行動に出ていた。
 野亀先生が監督に会うつもりなのにも関わらず、編集長たちが阻止せんと監督に立ちはだかったのは、出版業界の意固地な姿勢を表現したわけです。
 でも、才能ある創作者同士が直に会うと化学反応が起こり、それは作品をよりよくする可能性を大いに含む。会議室での野亀先生と監督の掛け合いからの盛り上がりの中でのルーシー爆誕が、まさにそれ。最初から拒否するのは業界全体としても、もったいない。
 批判でなく嘆願だからこそ、オブラートに包む意味で、夜鷹書房に乗り込む監督をウエスタン姿にして、しかもボテ腹による超絶技を繰り出させるという非現実的でコミカルな演出まで入れて、出版サイドに気を遣っているのですよ。
『三女』打ち上げパーティーにて全員集合させながら、茶沢だけは腕章着けたカメラマンつまり“部外者”という立場を与えるという、だめ押しまでしています。本当に徹底して出版業界を気遣ってる。

 準備運動レベルだった、『えくそだすっ!』編のタロー。
 本番レベルの茶沢(と言うか、その背後にある夜鷹書房)。
 ともに、人同士の繋がりを断ち切る、邪魔をするという意味での悪役。
 アニメ制作にとっての大切なものを壊す存在なのですから、誰が何と言おうと悪役に違いないのです。
 なお、当初は問題児だった平岡は悪役としてではなく、本来は五人娘の誰かが担当すべき闇堕ちを代わりに勤めたんだと思います。夢を掴もうとして業界の現実に打ちのめされて捨て鉢になる、ってヤツ。現実の不条理さという面では小笠原さんの過去話もそうなんですが。ですから、ある意味で平岡は“六人目のヒロイン”だった。五人の誰かが堕ちて離脱すると、復帰まで2クールでは収まらなくなりますからね。

 人同士のコミュニケーションが大切というのは。

 瀬川さんに苦手意識を持つ遠藤さん。
 その瀬川さん始め、歳上の女性陣はけっこう、みゃーもりにお説教する。
 みゃーもりに「事後承諾か?」と苦言を呈したナベPも。
 一見するときつそうな矢野さんは、みゃーもりに優しい言葉と甘い物ばっか、くれてたな。
 言葉足らずで、かえって絵麻っちを追い詰める結果にしてしまった瀬川さんは反省材料。
 タローが原因での確執から、『イデポン』をきっかけに和解した手描き派の遠藤さんとCG担当の下柳さん。
 みーちゃんが結果的に希望する現場に就けたのも、自動車CG専門の会社社長に本心をきちんと話したから。
 かつて、みゃーもりを面接で落とした野球オヤジは、悪役ではないけどコミュニケーションの点では反面教師。
 ナベPと葛城Pの麻雀三昧は言わずもがな(笑)。
「杉江三日伝説」の再来は、みゃーもりが菅野監督の純粋な言葉を聞けたからこそ。
 キャラデで迷路に入った井口さんを思って、Pと監督とデスクの三人を一度に叱った小笠原さん。
 ありあ役の新人声優が袋小路に入ったのを雑談で巧みに誘導する音響監督(キャスティングの会議で、未熟な新人は「育てればいい」とも)。
 大チャンスのプレッシャーに圧される絵麻っちに、「受けたほうがいい」と助言する杉江さん。
 極度のコミュ障ながら頑張って作打ちに臨んだ久乃木と、彼女の必死な片言に全力で応える中年男たち。
 平岡を半ば強引に呑みに誘って、彼の本音を吐かせたタロー。
 問題を起こした平岡や、詰んだ監督に説教するでもなく、優しく語る社長。

 随所随所に描かれているんですよね、この群像劇では。

 群像劇と言うと、偏った趣味の妖之佑は、士郎正宗さんの『ドミニオン』(白泉社版)を、そしてこれの元ネタと思われる U.S.A. の『ヒルストリート・ブルース』を真っ先に思い浮かべます。
 ただ、この二作品は本当に群像あるいはメリーゴーランドで、それぞれのキャラというか小グループが互いにさほどリンクせず、めいめい自分の仕事だけをこなしている。グループ同士の繋がりが薄いんですよね。そこが、わりと新鮮でもあり、作品としての個性だった。

 対して、一つのアニメ作品を作り上げる現場を描いた『SHIROBAKO』は、ムサニも社外もひっくるめて皆が同じゴールに向かっている。だから、縦横無尽に入り組んだ人間関係を立体的に表現する結果となる。
 最終話の、みゃーもりの言葉や集合記念写真だけでなく、どの回だったかな。自宅からの通勤距離だけが理由でムサニに転職した「アニメはギブリしか」の佐藤さんが、後に「一丸となって完成を目指す感じ」に目覚めたあたりも、さりげなく作品テーマに触れてるなあと。
 本当に巧みな群像劇だと思います。

 劇場版、観てないんだよなぁ。円盤……買う?
 て言うかTV版も、円盤なら『えくそだすっ!』と『三女』が観られるんだよなぁ。酷い罠だ(爆)。