三の酉、一粒万倍日、不成就日 (旧暦 神無月十二日)

 先々週、『エンドレスエイト』が、ようやく終わりました。
 最初の放映のときもそうでしたが。本当に、ようやく、やっと、という本音しか出てきません。溜息しか出てきません。
 何なんだこれはったくもう。

 そんなアニメ版『エイト』について、あらためて文句言います。
 褒めません。けなします。こきおろします。

 なので、アニメ版『エイト』大好きな信者様々方は、どうぞ、お引き取りくださいますよう御願い申し上げ奉りまするので御座います。










 まずは、原作の『エイト』について少し。
 明らかに元ネタは、

STAR TREK: The Next Generation(新スタートレック)』(以下、『TNG』と略す)
 第118話「Cause and Effect(恐怖の宇宙時間連続体)」

 であると思われます。構成、パーツの配置が酷似してますからね。
 例えば。
 長門が過去のループ経歴を淡々と語るのをキョンが黙らせる。アンドロイドであるデータ少佐が音声解析の会話内容を延々と述べるのを艦長が遮る。
 などなど。
 ただ、『TNG』がメタ視点でループを描いたのに対し、『エンドレスエイト』は『ハルヒ』シリーズが一人称小説であることに作者さんがこだわったのでしょう、あくまでもキョンの視点に徹した。ゆえに何度も描くことをせず一発勝負、ループの最後の一回だけを描くという超潔さ。
 ループに捕まった恐ろしさは、キョンが真実を知らされたときの驚愕(他の者の言うことはともかく、キョン長門にだけは全幅の信頼を寄せているので、長門の言葉だけは無条件で受け入れる)や、その後に六百年近くの繰り返しすべてを記憶している長門の気持ちを思いやる様子で、きちんと描かれていると思います。「今回が、一万五千四百九十八回目に該当する」を聞いたときの、あの「素晴らしきかなアラビア数字」とか名台詞ですよ。

 そんな名作短編の血と汗と涙の結晶を、アニメ版の制作は台無しにした。

 対比させる意味で、『TNG』の「恐怖の宇宙時間連続体」の粗筋を以下に記します。
 モロにネタバレですので反転ね。おーばー♪



 冒頭。
 緊迫したブリッジの様子からの、連邦宇宙艦 U.S.S.エンタープライズDが大爆発するシーン。

 暗転。
 ライカー副長、Dr.クラッシャー、データ少佐、ウォーフ中尉がカードを楽しんでいる(この四名は階級を越えてのカード友だち)。
 ドクターは副長のハッタリを“判っていた”気がしていたのでチップ上乗せを続けて大勝利。
 ドクターが医務室から呼び出され、ゲームはお開き。
 ラ=フォージ少佐の体調不良を診察するドクター。
 その夜、ドクターは自室で不思議な物音を聞くが、音源不明。
 翌日、緊急事態となり結局、エンタープライズは大爆発。

 暗転。
 四名がカードを楽しむ。
 副長はドクターに“見抜かれている”気がしたので、ハッタリをやめて早々に降参。
 ドクターが医務室に呼び出される。
 診察中にドクターとラ=フォージは既視感を覚える。
 ドクターは自室で不思議な物音を聞くが、原因不明。ピカード艦長の自室を訪れ、個人的に相談。
 翌日、緊急事態となり結局、エンタープライズは大爆発。

 暗転。
 四名のカード・シーン。
 ウォーフが既視感に襲われる。
 ドクターが、配られるカードをすべて予言的中。確率的にありえない出来事にデータは異常を確信する。
 ドクターは艦内通話で医務室に確認。とほぼ同時に体調不良のラ=フォージが医務室を訪れる。
 医務室にて艦長を交えての相談。ラ=フォージの体調不良はヴァイザー(ラ=フォージは視覚障害者で、ヴァイザーが視覚を担っている)が時空の異常を感知したことによるものと判明。艦長は異常の調査を命ずる。
 ドクターは自室での不思議な物音を録音。
 意味不明な雑音と思われた物音は解析の結果、エンタープライズのクルーたちの声が幾重にも重なったものと判明。
 これにより、エンタープライズがループに入っていることを知る(音声は空間に残存したエコー。同一座標にいるから聞こえる)と同時に、エンタープライズが大事故に至ることも判った。
 データは、エコーを利用して“次の”自分たちにメッセージを送ることを提案。
 緊急事態となり、エンタープライズが大爆発する寸前に、データはメッセージを送信。

 暗転。
 四名のカード・シーン。
 既視感を覚えたドクターがカードを予言するも、すべて外れる。
 配られたカードは「3」ばかりとか同じ数字が三枚ずつ揃っているなど、すべてが「3」絡み。
 前と同様の医務室でのやりとり。
 調査中、データはコンソールの表示がすべて「3」であることに困惑。
 その後、緊急事態となりエンタープライズの危機。
 そのさ中、データは「3」が鍵であると気づき、エンタープライズの爆発を回避する。

 そして事後の説明シーン。
 エンタープライズは、通常空間の十七日半を、ループの中に囚われていた。
 だけでなく実はループに絡んだ別の驚愕の事実も……。



 というわけです。
 これを一話(六十分)×1で、きちんと完結させた。三十分×8も使って駄作を作ったのと、えらい違いです。
 他にループ物と言うと、例えば『ひぐらしのなく頃に』や『シュタインズ・ゲート』も該当するでしょう。『まどか☆マギカ』の特に第10話もね。
TNG』だけでなく『ひぐらし』や『シュタゲ』や『まどマギ』にも言えることは、登場人物がループを終わらせるために努力を重ねる点が重要だということです。
 繰り返すたびに失敗するたびに、あれこれ試行錯誤する。そのために少しずつでも事態を好転させるべく、いささか便利ではありますが、リセットされたはずの記憶のフラッシュバックが起こったりもする。梨花ちゃまや、オカリンや、ほむほむのように記憶をすべて残している者もいる。
『エイト』で、そんな努力がないのは、ひとえに唯一ループを認識・記憶している長門が「観測」に徹しているためです。夜中にホラーな電話がかかってくるまで、キョン視点(読者視点)では事態の発覚はありえません。
 また、発覚したところで、「禁則事項」がなくて未来と「禁則事項」できなくて「禁則事項」が「禁則事項」な朝比奈さんも、閉鎖空間に入らないと無能力者な古泉も、そして完璧なる一般人のキョンも、対策など取れるはずがない。だからこそ作品的には一人称で助かったとも言える。
 メタ視点でやるなら、どんどん対策を積み重ねないとダメです。回数を重ねるごとに正解ルートに近づく。あるいは意外な分岐点が出現する。そんな感じ? それでこそ読者(視聴者)は飽きずに楽しめるというもの。
 一人称のルールを厳格に守り、ループ脱出の術が簡単な、実に簡単な一手だった原作の『エンドレスエイト』は、あれで大正解なんですよ。むしろ上手い、流石とすら思います。

 なのに。
 ああ、それなのに。
 すべて台無しです。
 制作は、何と愚かなことを。
 登場人物が努力も、もがきもしないものを八回、二ヶ月に渡って、ただただ無為に同じことを繰り返す。偉い人がよく怒らなかったものですね。
 構図やカメラ・ワーク、台詞の言い回し、浴衣の柄や水着のデザイン、長門が買ったお面などなど、細かな違いを見つける所謂「間違い探し」的な楽しみかたは、諦めたうえでの一周した境地なんですよ。あれを本気で絶賛しているなら、それはもはや「よく訓練されたお客様」です。

 言ってやろう。
 当時の制作は、あれこれ御託並べてましたが、すべて言い訳、嘘に違いありません。
ハルヒ』二期の目玉は実は『消失』だったという話です。それが劇場版用に昇格したため、放送スケジュールに空きができてしまった。
 これを埋めるため急遽、考え出されたのが『エイト』を八回やる、という暴挙だった。つまり苦肉の策。「8」を「∞」と読ませるってのは後付けの言い訳か、信者の好意的解釈だろう。
 という世の推理あれこれは、あながち外れてなどいないと思いますね。
 アニメ版『エイト』の少なくとも中間の六本は、それこそ同じ脚本を六つの班に配って競作させたような出来です。アニメ専門学校の授業ですよまるで(よく知らんけど)。商業レベルで、やっていいことじゃない。まして、それを芸術的自画自賛なんて滑稽にすぎます。
 穴埋めにすぎない行為を前衛的実験的演出と言って誤魔化すズルさに比べたら、素直に総集編をやるほうがずっとマシです。
 認めるわけではありませんが、もしも『エイト』をメタ視点でやるなら、いいトコ三話でしょう(当時の制作の姿勢に批判的だったヤマカンさんは「自分がやるとしたら二話が限度」と言ってらしたっけ)。何事もなく八月が終わる第一話。ループに気づくも空しく月末を迎える第二話。そして、脱出できた第三話。
 どうしても全八話でやるなら、それこそ『TNG』や『ひぐらし』などのように、キョンたちには回ごとに違う様々な努力、あがきをさせなければダメです。事態が好転しなくてもいい。むしろ悪化してもいい。とにかく原作から逸脱してでも大胆にルートを変化させないと。
 真相としては全然違うものの、登場人物たちの主観においては『エイト』とそっくりな、ループから脱出できない物語として「明日は学園祭初日」という日を延々と繰り返している『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』があり、こちらも、あたるたちは何も考えず日々を賑やかに騒々しく過ごすのみです。が、こちらは状況のほうが日々で変わる。冬服を着ていたと思ったら次にはセミが鳴いて風鈴が鳴って夏服になっている。邪魔者である温泉マークや錯乱坊が消える。友引町から出られなくなったと思ったら世界が崩壊して「衣食住を保証されたサバイバル生活」を満喫という事態になる。などなど変化に富んだ波瀾万丈。なので連中が脱出を考えず「毎日毎日遊び呆けてて」も、視聴者は飽きることがない。
 粛々と、あるいは惰性的に同じ経緯を繰り返しただけのアニメ版『エイト』は制作費の無駄遣いです。本当に酷い。
 前にも言ったけど、「視聴者に長門と同じ退屈さを体験させるのが演出の目的」というのは詭弁もいいところ。そもそも一人称における重大なルール違反なので論ずる価値もない。二ヶ月八話もかけないと「退屈さ」を表現できないのは、むしろ創作力のなさを証明するものである。と断じます。

 それでも賞賛しているそこのあんた。自分が信者になってるって気づいてます?
 盲目的信者は本人はそれでいいかもですが、信者でない者にしたら、けっこう迷惑なんですよ。制作が勘違いして聞く耳持たず、裸の王様になって悪い方向に暴走しちまいますからね。



 念のため、最後に重ねて申しておきます。
 原作の『エンドレスエイト』は地味ながらシリーズ中の名作の一つに挙げるべき短編だと思います。これがないと『消失』に繋がらないほど重要だと思います。その意味で、シリーズの要あるいは収束点である『笹の葉ラプソディ』にすら届こうかと。
ハルヒ』シリーズはラノベにカテゴライズされていますが、『憂鬱』と『消失』と短編の『笹の葉』と『エイト』(と『陰謀』の冒頭部分も)は紛れもなくSFだと思います。
 もちろん他のエピソードにもSF色は見られますが、この“相互リンク”が成立している四タイトル+αは別格。
 シリーズ全体を読んでいて、作者さんのSF趣味がチラホラ垣間見えることも楽しいです。