(旧暦 文月十七日)

 何という恐ろしい話……。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2009/04/news009.html

 二十年の努力が、自分に関わりのない所で皆無にされる。
 怒らないあたり、一箇月の呆然だけで済むあたり、それからやり直して完成させるあたり、中村元さんのスケールが判ります。さすがに名を残す学者さんは違います。

 そう言えば、『こち亀』にもあったなぁ。
 編集さんが受け取った原稿を持ち帰る途中で、うっかり焚き火に落としてしまったエピソード。

 手書き原稿が主体の頃は、バックアップを取れませんでしたからね。担当や選考委員で回し読むためにコピーは取るものの、それはバックアップの役目をなさない。
 活字になるまでの過程のどこか一つでミスがあれば、時空の彼方に消えてしまう脆弱性を持っていた。それが手書き原稿。

 今はテキスト・ファイルなのでコピーが容易。
 著者本人が複数のバックアップを取っていれば、編集がどんだけ粗忽でも、ほぼ無傷で済む。無論、編集部できちんと管理するのが筋ではありますけどね。

 逆に。
 コピーが簡単だから故、流出の危険性は手書き時代とは桁違いかもしれませんね。
 編集が原稿をメモリにコピーして自宅で仕事するために持ち帰る。途中の呑み屋や電車に置き忘れる。無事に帰宅しても自宅のPCが感染しており、そのままネットに漏洩。家人が不要メモリと間違えて誰かに貸す、やる、捨てる。等々。
 あるいは、意図しての原稿盗み出しも簡単でしょ。分厚い紙の束だとそうはいかないところを、メモリの“隅っこ”に入れとくだけですからね。紙へのコピーと違って、三百枚程度のテキスト・ファイルのコピペなんて一瞬ですし。
 ちょっと前はデジタル原稿であっても、プリントした紙束での応募だった新人賞等々も、今では出版社の投稿フォームにコピペですからね。手順が簡単すぎて不安になりますよ。編集部に、あるいはサーバー管理に一人、不届き者がいるだけで盗作楽勝な環境と言っても過言ではないかと。

 便利であればあるほどセキュリティ面では脆弱になる。
 まるでMT車とAT車の関係みたいですね。