(旧暦 弥生七日)

 あまり知られていないことかもしれません。
 ザ・ドリフターズの正式メンバーの中、最初っからコメディアンを目指して入門したのは志村けんさんだけだったという事実。
 志村さんが押しかけ弟子入りした頃のドリフは、すでにコミック・バンド一筋でしたからね。と言うか当時の状況としてはドリフとコント55号が、落語でも漫才でもないお笑いの両横綱だったと言っても怒られないかと。
 志村さんの先輩メンバーは、すべてミュージシャンです。加藤さんのドラムやブーさんのウクレレは一流レベルですし。
 て言うか、そもそもザ・ドリフターズは真面目なジャズ・バンドが始まりです。それがコミック的な演出を取り入れるようになり、いかりやさんがリーダーになってコントに重きを置いた真性のコミック・バンドへとシフト、最終的には音楽と関わりないコント・グループとして、あの怪物番組『全員集合』を長らく担当、一時代を築くに至るわけ。
 ドリフが音楽バンドだったという事実については、あのザ・ビートルズの来日公演にて前座を担当した、というのが伝説として残ってますね。
 志村さんが入門したのは、それよりずっと後のこと。ドリフが、お笑いグループとして認識されていた時代です。

 つまり、ドリフのメンバー中、志村さんだけが唯一、根っからのお笑い人だったということです。
 そりゃー、後輩でありながら、加藤さんの「ちょっとだけよ♪」を追い抜いて「カラスの勝手でしょー」や「ひがしむらや~ま~」で売れまくるわけです。笑いに対する姿勢が他のメンバーとでダンチなんだな、たぶん。

『全員集合』と双璧をなす『大爆笑』での志村さんは、実はあまり好きではありませんでした。て言うか、むしろ嫌いでした。(;^_^A
 やたらエアガンで人を撃つところとか、OPだかEDだかで踊っているスクールメイツを後ろから何度もどつくのが観ていて不愉快でした。
『全員集合』の後番組『加トケン』も全然つまらなくて、すぐに見限った記憶があります。
 TVでの印象だけではありますが、あの頃の志村さん(と加藤さん)は、かなり慢心していると感じましたね。『大爆笑』は「雷様トリオ」とか「もしも」とか「バカ兄弟」だけ観てましたよ。志村の出番は、どうでもよかったな~(苦笑)。

 ドリフとしてではない志村さんの活躍は、やはり『バカ殿』と『だいじょぶだぁ』でしょうね。
 ドリフに縛られず、本来目指していたコメディアン一本道で進めた分、のびのびとやれたんじゃないのかな。

 ドリフで一番後輩でありながら、ドリフのエースにのし上がり、ギャグで社会現象まで起こした志村さんの功績は大きかったと思います。
 日本を代表するコメディアンの一人と言って過言ではないでしょう。

 ご冥福を。