(旧暦 如月廿一日)

 観客がいないため、土俵上や土俵周りの音あれこれが反響して面白いですね。結びの一番後の弓取り式も、きちんと放送されて嬉しい限り。
 大相撲を神様に奉納する神事とするなら、これはこれで充分にアリでしょう。静かな分、厳かな感じもしますから。
 歓声が無いために興行としては、淋しいことは淋しい。
 ですが代わりに、不愉快な絵を見なくてすみます。大相撲は全体としては観客のマナーはマシなほうですが、それでもテニスとかと比べると全然ダメ。土俵上が「待ったなし」になってるのに自分の席を探して升の間をウロウロすんなよな、取り組み終わるまで通路で待てないのかよ、ガキかよ。みたいな連中、多いですからね。仕切り中の手拍子も無粋だし、品のない掛け声もあるし。花道下がる力士の体をパンパン叩くのも失礼だからな。あと、座布団投げるの禁止。
 すべて空席のおかげで、カメラが自由なのもメリットでしょう。なかなかのアングルで土俵の様子を見られます。
 こうしてみますと、テレビ桟敷の者としては、場内の観客って邪魔でしかないんだな、たぶん(笑)。

 それにしても。
 中入りで振り返ってた平成二年の春場所ですが。
 良い時代でしたね。土俵の活気と内容が今とは桁違い。力士も魅力的な人たち満載で。
 あの時代でも、小錦大乃国など超大型力士がいたと同時に、千代の富士や霧島という筋肉質な力士も、寺尾のような小兵もいて、取り組みのバランスが取れていた。
 曙、若貴の頃は、活躍した小兵が舞の海と智ノ花くらいしかいなかったですからね。
 そして今では、ブヨブヨのバーゲンセール。横綱は反則上等な態度だし。すべてがとは言いませんが残念な時代です。