一粒万倍日 (旧暦 如月五日)

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 『ULTRASEVEN』
 『Return of ULTRAMAN
  Mill Creek Entertainment


 例によって、ミル・クリーク・エンターテインメントによる北米版BD。それぞれ六枚組のスチール・ケース仕様&ブックレット付き。
ウルトラセブン』が「SERIES 3」、『帰ってきたウルトラマン』が「SERIES 4」なので、『怪奇大作戦』は今回の流れではリリースされなさそうですね。残念。
 いつか、『怪奇大作戦』や『マイティジャック』も出るといいなぁ。

 それはさておき。
 ウルトラ一期の『セブン』と、三年ほど間を置いての二期の『帰マン』とを、なぜにここで並べたのか。
 実は、意外とこの二作品、共通性があるんですよ。

 一つは、ともに『ウルトラマン』の正統続編として企画されたという点。
『セブン』はデザイン(マンの佛像モチーフに対して、セブンは甲冑戦士のイメージ)にせよ舞台設定(科特隊が警察なのに対し、ウルトラ警備隊は純然たる軍隊)にせよ『マン』とはかけ離れていますが、当初は『Q』や『マン』の怪獣・星人を登場させる予定があったそうなので、企画段階では同一世界での物語だったのだと考えられます。
『帰マン』は、もっと明確で。かつてゼットンに負けて M78星雲に帰還したウルトラマンが数十年後に地球を再訪するというのが企画段階でのプロットでした。なので歳月を経たハヤタやムラマツもゲストとして登場予定だったとのこと。

 二つめは、その正統続編案が没り、ともに実際の制作では別世界の物語になっちまったという点。
『セブン』本編にはウルトラマンも科特隊も、その名残すら出てきません。『Q』や『マン』に登場した星人・怪獣も出てきません。「ウルトラ」という用語と「M78星雲」という名称のみが共通点。なので、『マン』と『セブン』が時間軸上で繋がっているという根拠は皆無なのです。個人的には、少なくとも制作された時点での『セブン』は『マン』とはパラレルな地球の物語だと解釈しています。
『帰マン』については、最終話でゼットン(二代目)に絡んで過去のゼットンのシーンなどが差し挟まれたり会話の中に名称が出てきたりで、いちおう『マン』との繋がりがほのめかされていますが、『帰マン』の後番組『ウルトラマンA』本編にて次郎とルミ子が再登場したりMATの人事データ(郷秀樹隊員の殉職記録)に触れた台詞があったりと『帰マン』と『A』がガッチリ繋がっているのに比べて、『帰マン』と『マン』との明確なリンクはありませんでした。ついでに言えば、制作側が過去作品とのリンクを意識したのは、ベムスターの回にて強引にセブンを客演させてから、ですからね。要は視聴率対策で方針変更した説が濃厚と思われます。少なくとも初期の『帰マン』には『マン』との関連性はありませんでした(本編に反映されることはなかったが、デットンはテレスドンの親戚筋という設定があるにはある。着ぐるみが、破損したテレスドンを修理しての使い回しだったそうな)。

 三つめとして、スタッフが『セブン』と被っており、そのため画面から来る空気感が近いという点。
 例えば建物の倒壊シーンなど、けっこう似ています。円谷英二さん亡き後、円谷一さんが頑張っておられた証でしょうね。
 そしてストーリも、『セブン』は「ノンマルトの使者」、『帰マン』は「怪獣使いと少年」というそれぞれの問題作を始めとして、ともにかなり大人を意識した重厚な話や社会批判が多々見受けられます。
 また、音楽担当がともに冬木透さんということでか、『帰マン』には『セブン』のBGMも流用されていました。
 この『セブン』と『帰マン』とで共通する空気感は、後番組の『A』では完全に消え去りました。

 こうして、あらためて書き出してみますと、『帰マン』はウルトラ第二期の第一作目であると同時に、一期と二期の中間的な存在とも言えますね。一期と二期の特徴が混ざり合っている、謂わばカフェオレ状態。
 前半は、怪獣のデザインも凝っており(反面、造形はダメダメでしたが)、ハードな空気感に溢れてた。
 後半になり、怪獣・星人のデザインが妙にガキっぽくなり、造形のまずさとも相まって安物感が見えてしまっていた(もちろん良い物もあった)。このダメさを『A』以降も引きずった印象があります。
 良くも悪くも、全体としての“ウルトラマン・シリーズ”の路線へと舵を切ったのが『帰マン』であるとは言えるのでしょうね。それを『A』で「ウルトラ兄弟」の設定などなどでもって明確に固定した。
 平成に入り、『ティガ』を始めとする平成三部作や『ネクサス』こそ、その路線から離脱してましたが。それでも、さらに後の『マックス』や『メビウス』、そしてその後継作品群は『帰マン』以降の路線に戻った。すべての始まりはウルトラ第一期ではなく『帰マン』ということで、いいんじゃないかと。

 もう少し言いますと。
『帰マン』は何と言いますか、ウルトラ・シリーズにおける“トレーダー分岐点”あるいは“笹の葉ラプソディ”な立ち位置になっていると思うのですよ、結果的に。とにかく、『帰マン』には、いろいろと集約されている、もしくは収束している。
 ウルトラ・シリーズの原点は、もちろん『ウルトラQ』であり、巨大変身ヒーローの原点は『ウルトラマン』。この事実は揺るぎませんが。
 一方で、ウルトラ・シリーズのヘソ、となると『帰ってきたウルトラマン』の他には、ありえない。そんな気がします。

『セブン』『帰マン』それぞれの感想などは、またの機会に。