(旧暦 睦月五日)

 珍しいことになりそうなんですね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200129-00000057-dal-spo

 こういう珍事(?)は大歓迎です。
 たまには番付表にも変化がないとね。

横綱大関」という表現を「横綱を下の地位に落とす」と批判する声は、番付を誤解してますよ。
 そもそも番付とはランキングです。なので「大関」は「ランキング一位」という意味。対して「横綱」は大関の中で飛び抜けて強すぎる力士に与えられた特別な「称号」です。なので厳密に言えば横綱は番付最上位の意味ではなく、謂わば良い意味での「欄外」。と同時に、常に大関でもある。ただ番付表に「大関」と書かないだけ。横綱の英訳として使われる「grand champion」というのが実に上手い言葉の選択だと思います。
 この考えからすると大関が三人以上いる番付は変じゃね? となるのですが、それは協会の商魂のせいでしょ。横綱大関がいっぱいいたほうが集客力が上がる、と考えているのです。元々はランキングだと言うのに。
 とりま、番付を厳格に解釈するなら「番付表に大関がいない」という事態は起こりえないのです。一位のいないランキングなんて成立しませんからね。力士たちがミソッカス揃いであっても、その中から一番強い奴と二番目の奴が東西の大関になる。それが番付。
 まー協会は、やらないだろうし、やったら世間が叩くんだろうけど。本来の意味でいくなら、今の大関が全員いなくなったら、関脇を無理にでも大関に上げるしかないんです。ランキングなんですから。
 春秋園事件だと、関取の大量離脱という非常事態によって仕方なく幕下を幕内に上げて興行したそうですけどね。当然、番付はスッカスカで取り組み内容も悲惨そのもの(たぶん)。まるで角川お家騒動のあおりを受けたコミックコンプの大惨事みたいなものだったと思われ(苦笑)。
 それでも、番付はランキングだから、やむをえないんですよね。つーか、そもそもなんで大関に昇進条件なんて付けたのかな? ランキングなのに。

 ちょっと調べたら、チョンマゲ時代、大関が足りないときには「看板大関」なる苦肉の策もあったんだそうですね。
 まるで落語の『花筏』じゃねーかよ(爆)。