初大師、八せん終わり (旧暦 師走廿七日)

 思いっきりダレてしまった『8』から、よく盛り返してくれました。
 そんな『エピソード9 スカイウォーカーの夜明け』だったと思います。

 レイが主人公である所謂「続三部作」も、これで完結。であると同時に、旧三部作、新三部作を含めての四十年以上に渡って作られてきた物語の完結でもある(と解釈してますよ)。最後だからと続三部作の中で最も豪華なキャスティングでしたし♪
 20世紀FOX からディズニーに配給が変わるなどなど、あれこれが当初の構想からはかけ離れてしまったでしょうが、それでもいちおう、ルーカス氏が最初に思い描いていた通り、三世代・全九話の物語を完成できたことは、きっと感無量なんじゃないかと想像します。7~9に4~6のキャストたちが歳を経て出演するという楽しい目論みも実現できたわけですし。

 いろいろ回収された伏線のあれこれは、生意気言いますが、ほぼ想定の範囲内で、特に“びっくり”な要素はなかったですね。
 でも『STAR WARS』はSFでも謎解きでもなく冒険活劇だから、ブンドドとチャンバラさえあれば良いんです。
『8』では群像劇的に視点がバラバラになりすぎてしまったのに対し、『9』は可能な限りレイに集中したところが良かったと思います。おかげで旧作キャラたちの活躍が少なかったですが、それは仕方ない。続三部作はレイの物語ですから、先輩が出しゃばっちゃいけません。

 あれこれ細かなところで最初の『エピソード4』へのオマージュが散りばめられているように見受けられました。
 気のせいかな?

 それにしても皇帝が単騎としても指導者としても、あまりに強すぎませんかね?(何あの視界を覆い尽くす大艦隊。ボドル基幹艦隊かと思ったよ)
 ついでに、フォースが万能すぎませんかね? あれじゃ、ほとんどバビル二世かヨミだよ。
 まあ、敵が強ければ強いほど物語の佳境も盛り上がるというものですが。それにしても便利すぎる強すぎる。

 R2 や 3PO はドロイドだし、チューイは長命種族だから、お互い淋しいよなぁ……。
 旧知がどんどん、いなくなっちまう(涙)。

「スカイウォーカーの夜明け」という副題から、レイがジェダイを継承することは判っていました。
 ですが、ラストシーンをああするとは思っていなかったので、ここは「そう来たか」と。うん、良かったと思います。
 巷の感想を拝見すると、このシーンへの辛辣な意見が多いですね。「あれで、すべて台無しだ」とまで断ずる声もある。
 けど何と言いますか、誤解してるような気がするんですよね。もちろん解釈・受け取りかたは人それぞれなので、そういった批判を否定するつもりはないですよ。念のため。

 ラストシーンへの反応に象徴されるように、多数派意見は「酷評」のようですが、私は面白かったです(『8』からの反動はあるな、たぶん)。
 みんな高尚な期待をしすぎなんだよ。芸術映画じゃないんだから。何も考えずに楽しむべき娯楽作品なんだから。
STAR WARS』シリーズに教訓とかあると思ったらダメですよ。第一作目から、そうだったでしょ? 単なるエンタメだったでしょ? 単純明快な勧善懲悪ストーリだったでしょ?
 たしか、ルーカス氏は『STAR WARS』のことを御伽話とか昔話とか言っておられた気がします(違ってたら、ごめん)。

 せっかくなので、これで銀河は平和になってめでたしめでたし、でいいんじゃないのかな。
 聞くところによると、すでに新たな三部作の企画が動きだしているとか……もう、ええやん。ずーっと戦争してるって、どこぞの宇宙世紀かよ(苦笑)。



 ラストシーンについての妖之佑の意見は、盛大にネタバレを含みますので以下に畳んでおきます。











 すべての闘いが終わって、ルークの実家跡にルークとレイアのライトセーバーを埋めたレイ。そこに通りかかった地元の人に名を尋ねられて答えたのが「レイ・スカイウォーカー」。
 これへの伏線として、祭で賑わう惑星パサーナにて、歓迎の首飾りをくれた子供に名を問われて、出自の記憶がないため「ファミリー・ネームはない。ただのレイ」と答えていた。
 闘いの中でレイは自分が皇帝の孫であると知らされる。レイのフルネームはレイ・パルパティーン
 己の血筋を呪いもしたが、仲間に「レイはレイだ」と諭されて、自分自身を取り戻す。血が繋がっていようとも、自分と皇帝は違う。
 そして皇帝を倒す。

 この流れを受けるなら、ラストで堂々と「レイ・パルパティーン」を名乗るべきだろう、という巷の批判的意見にも納得できるものが一部あります。
 大切なのは血筋ではなくえにしなのだと学んだレイは自分の家系に惑わされることなど、もうないのですから。

 ですが、逆だと思うのです。
 家系より縁が大切だからこそ、ファミリー・ネームになどこだわるべきではない。
 縁と言うなら、砂漠での部品漁り生活をやめてからのレイはレイア、ルーク、そしてカイロ・レンあらためベン・ソロの三人、つまりスカイウォーカーとの縁によって導かれてきた。
 レイアとルークのライトセーバーを供養の意味で埋めたあと、レイは黄色に光るライトセーバーを起動させた(たぶん、ルークの物を修理して得た知識と技術で自分用を新たに作った)。これは二人に向けた、これからもジェダイとして生きていく決意表明なのだと思われます。
 ここまで来れば、これからのレイが名乗るファミリー・ネームが「パルパティーン」は、ありえないでしょう。

パルパティーン」は自分を命がけで守ってくれた両親の名でもあるんだぞ。他人の姓を名乗るなんて、両親を裏切る行為じゃないのか?
 という声もありますが。
 そのご両親とて、自分たちが「パルパティーン」であることを呪ったんじゃないのかと容易に想像できます。パルパティーンでさえなければ、愛娘が狙われることもなく親子三人で平々凡々に暮らせたのに、と思えば、皇帝の血縁であることは不幸でしかなかったはず。ご両親は娘に「パルパティーン」を名乗ることなぞ望んじゃいませんよ。名前が何であれ生きていてほしい。ただ、それだけだと思う。

 もう一つ。
 旧三部作、新三部作、そして続三部作の全九話は、けっきょくスカイウォーカーの物語だったとも言えます。続三部作の主人公こそスカイウォーカーと血縁のないレイですが、重要キャラであるカイロ・レンはスカイウォーカーですし。
 なので、その血筋が暗黒面であるレンから元に戻ったベン・ソロの死をもって途絶えたことは、物語の完結に相応しいとも言える。
 そしてーの、レイがスカイウォーカーを名乗ってくれる。これを“新たなスカイウォーカー”の誕生と考えれば、まさに夜明け。アナキンからベンに至るまでのスカイウォーカーの日々とは違う日々が、これから始まる。
 副題「スカイウォーカーの夜明け」を酷評している人は誤解をなさっているんじゃないのかな、と思うのですよね。「“夜明け”ってことは、ルークたちの時代は闇だったと言うのか? それは酷い!」という声ですが、違うんですよ。夜の闇とかじゃなくて、単に“日付”が変わったって意味なんですよ。
 ついでに言えば、エピソード9の時代では、その筋において「スカイウォーカー」は「ジェダイ」の代名詞でもあるはずですからね。

 私は、レイが「スカイウォーカー」を名乗ったのは素晴らしいと思っています。