小寒、六日年越、出初式、高崎だるま市 (旧暦 師走十二日)

 あの電脳メガネ、絶対にヤバいヤツや!
 問題は、1000%野郎が、そのヤバさを想定しているかどうかです。
 想定している場合、1000%野郎の最終目的は、おそらく人類を並列化したうえで管理すること、あたりかな。
 想定していない場合、1000%野郎が無様な負け姿を露呈することになると思われ。こっちのほうを希望するかな自分的には。サウザーとやらもデザインが安っぽくて噛ませ臭プンプンだからなー(必殺技に、いちいちザイアのコピーライト表記が付くのは悪い冗談だ)。
 生け花勝負も、どうせ出来レースでしょ。あるいは審査員の先入観を計算したうえで、或人に持ちかけた勝負かもしれんが。つか、『TVチャンピオン』なら、作成者を明かさずに作品審査させるぞ。
 マギアにキーがなかったのは、アークが直接、暴走させたという。何というチート。
 滅は再起動。そしてキーを盗んだフード男は、おそらく迅のバックアップ。
 当面は、飛電とザイアと滅亡迅雷の三つ巴戦になるんでしょうか。





 さすが『鬼太郎』です。貧乏神の扱いかたが他の妖怪作品群とはダンチで素晴らしい。
 貧乏神と言うと一般的には、ただただ迷惑な存在と思われがちで、取り憑いた相手をとことん追い詰めてどん底にまで叩き落として、場合によっては自殺までさせてしまう冷酷なヤツに描かれることが多いのですが。実際には、バランスを取るためにやって来るんですよね。
 伝承だと、どの家に対しても一時的に逗留するだけのようです。もちろん留まっている間は、その家はビンボになりますが。頃合いが来れば貧乏神は暇乞いをして別の家に引っ越す。その際、義理堅くも世話になった礼と、今後の貧乏対策への助言までしてくれるケースもあるそうで。
 私の記憶が正しければ、『まんが日本昔ばなし』にあったエピソードは、貧乏な農家が何も御馳走のない正月に貧乏神様へのささやかなお供え物をするという暖かい話でした。農家の老夫婦は貧乏神を家族のように思っている。そして貧乏神もそんな老夫婦に親しみを憶えている。
 貧乏神を厄そのものと捉えるのではなく、少しだけ重たい居候と見たほうが良いのかもしれません。忌み嫌うのではなく、上手くつきあう、ということですね。
 繰り返しになるようですが、貧乏神は、自分を支えきれないほど落ちぶれた家に、さらにしつこく居続けたりはしません。夜逃げや一家心中にまで追い詰めることは、しないのですよ。綾の家も、悪徳商法こそ破産させたけど、その後ちゃんと喫茶店を始める程度の余力は残してやっていたわけですし、閑古鳥が鳴いてても店が潰れたりはしなかったわけですし。
 にしても、ギャグと思われたチンピラの巨大ライターが、まさかの決め技になるとは(笑)。
 一件落着の後で貧乏神さんがチンピラについてったのは笑った♪
 ギモーヴは……ねこ姉さんと同じく「美味しいのかしら?」が素直な気持ち。某“血まみれ”アニメのせいだな、こりゃ。