鶴岡八幡宮流鏑馬 (旧暦 葉月十八日)

「無限の広がりの外を考えるのは無意味」と言ったのは『百億の昼と千億の夜』の阿修羅王でした。

https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190912-24219909-tenkijp

 以下、妖之佑の個人的思考から記します。正解とは言いません。たぶん、まちがってます。ただ妖之佑は、そう考えている、ということです。
 そこンとこ、よしなに。

 無限という概念自体、意味不明なところもあり、混乱しますね。
 いちおう。
 私たちのいる、この宇宙はビッグバン以降ずっと膨張し続けている。とされています。
 その膨張ですが。膨張するからには中心があるはず。それは、どこなのか?
 例えば、地球から宇宙を観測すると、すべての天体が地球から遠ざかっている。ここから考えると地球が宇宙の中心となってしまいます。なら、ビッグバンは地球の位置から始まった? いえいえ、違うでしょう。
 おそらくですが。例えば、大マゼラン雲のイスカンダル星で宇宙を観測しても、すべての天体はイスカンダルから遠ざかっているはずです。何ならアンドロメダ星雲にある銀河鉄道999号の終着駅でもいい。そこで観測しても、すべての天体は遠ざかっているはず。
 これが何を意味するかというと、宇宙空間のすべてのポイントが中心になる、ということ。この宇宙のどこに行っても中心にいる、ということ。これは宇宙に中心がないということではないんですよね。
 判ります? 判んねーか。そりゃそうだ。
 少し想像力が必要ですが。一つだけ次元を下げて考えてみましょう。つまり我々の三次元宇宙ではなく、二次元宇宙を考えます。
 二次元とはxyの世界、縦横のみの世界、つまり面積だけの世界ですね。体積はない。その二次元の宇宙が膨張し続けており、どこで観測しても、すべてが自分から遠ざかっている。そういう状況とは何か?
 風船の表面にペンで点々をいっぱい書くとします。便宜上、この点々には太い小さいといった大きさがないものとします。で、この風船を膨らますと、点々は互いに遠ざかります。さあ、この風船の上に立って点々の様子を見てみましょう。すべての点々が遠ざかるのが判るでしょう。では立ち位置を変えてみましょう。やっぱり、すべての点々が自分から遠ざかっています。
 つまり、風船の表面つまり二次元宇宙では、すべての位置が膨張の中心である、と言えます。逆に一つに特定できない、とも。この二次元宇宙を旅する者は永遠に“宇宙の果て”には到達できません。謂わば、地球上を旅しても世界の果てが無いのと同じです。
 そう。二次元宇宙とは三次元球の表面に存在する、と考えると辻褄が合うんです。あるいは、二次元宇宙が三次元球を作る、と考えてもいい。
 さて。ここで一つ次元を戻しましょう。
 深く考えずに、事務的に↑の言葉に一つ足します。
 三次元宇宙とは四次元球の表面に存在する、あるいは、三次元宇宙が四次元球を作る。
 こう考えると、無限に広がる大宇宙の正体が見えてきませんか? 中心もなければ果てもない。“球体”の表面を移動するわけですから始まりも終わりもなくて当然。これが宇宙が無限であることの正体です。
 SFでときどき見かける、永劫と思われるほど長い長い旅をした宇宙船が最後に到着したのは、遠い昔に出発した故郷だった、というのは、これを根拠にしています。宇宙を一周したということですね。まあ地球を一周したら自動的に帰還となるわけですし、当然っちゃ当然。
 我々の宇宙から外に出るには、縦横高のxyzの軸だけではダメ。第四の軸に沿って移動しないといけないわけで。それが三次元の人間にできるのかどうか……たぶん無理だな。出たとしても、それは別の宇宙に、つまり並行宇宙に移動するだけで、第四の軸など認識できないはず。
 もしもできたなら、そいつは、もはや人間ではなくなってる。神みたいな存在になっていることでしょう。
 ああ、神とは四次元人なのかもしれないな。て言うか『百億千億』で MIROKU をこの世に遣わした黒幕は、まちがいなく高次元人だよな。
 とは言うものの、我々三次元人は、二次元世界の“人々”を認識できてないからなぁ。
 やっぱり宇宙の外には出られない、考えても仕方ない。阿修羅王の言うことは正しかったと。
 それとも、精神体だけの存在になったら別次元の世界も認識できるのかな? もしできるなら、寝ているときに幽体離脱する人なんか、それこそ宇宙の外側を見ててもいいはずなんだが?
 ちなみに妖之佑は金縛りの経験はありますが、幽体離脱は未経験でございます。はひ。

 以上、くっだらない戯言でございました。