(旧暦 文月十日)

「合理的」アンプと、「絶対和音」スピーカと、「音の焦点」ケーブルとを組み合わせたら、それはもう神のごとき素晴らしい音楽が流れることでしょう。
 いや。互いに反発し合い、滅茶苦茶になるのがオチか(爆)。

「オーディオは宗教」と言われるのが悲しくてね。
 たしかに、音には姿形がなく発生した瞬間に消えてしまう漠然としたもの。そんな無形物を扱う謂わばグルメごっこみたいな、要するに自己満足の世界なので、一部の熱意の激しい人たちの発言が『美味しんぼ』的な芳しさを醸し出してくるのを避けられないわけですが。
 それでも、冷静さを欠かなければ、そこまで宗教っぽくならずにすむはずなのですが……あれだね。↑に挙げた三者は揃いも揃って、既存の技術(主に有名メーカーの名機)を叩いて徹底的に否定するところから始まるあたりが新興宗教の色を持ってて、そこが不気味なんだよな。
 いっそ、開祖様同士で「朝まで生」的な討論会でも開いたら面白いと思うけど、「合理的」の人は既に故人なので残念ながら実現不可能(まあ、自らボロを出したくないだろうから誰も参加しないと思われ)。

 迷惑なのは、ただ単に「良い音」を求める純朴なオーディオ好きさんが、こういった“宗教家”たちの発言に振り回されることです。
「あっちの人は、ああ言っていた」「こっちの人は、こう言っていた」と行ったり来たりを繰り返しては、大枚はたいて買った機材をすぐに売り飛ばしたり買い換えたり無茶な改造してジャンクにしたりと、そんな無駄金を使い続ける愚。
 気の毒すぎて、もう笑うしかない。

 ええ。以上の文体からお判りのとおり、妖之佑は、こういった変化球を投げてくる新興レーベルの言動に対して疑問を抱いてますよ。
 もちろん、すべてが間違い、嘘などと言うつもりはありません。正しいことも、いろいろと主張しておられます(たぶん)。
 が、大枠では実質的に宗教化しているので、これを無防備に信じることはリスキーだと考えています。まして感銘を受けるなど、とんでもなく危険でしょう。
 大手メーカーのものが完璧だと言うつもりもないんですけどね。でも、変なことをしていない分、少なくとも無難だとは言えるんじゃないかな。
 CDプレーヤなどの工学精度を求められる機器はともかく、アンプもスピーカも、やる気があれば素人でも自作可能なコンポなので、パーツ集めから始めれば完成度と関係なく満足感あるいは納得感は得られるわけですし、中身を知っている分、妙な不安にかられることもなく精神面でも安定するんじゃないかと。いきなり高度な事に挑戦しなければ、完成度も合格ラインに到達できるでしょうし。
 そのうえで、経験値が貯まれば技術力も上がりますし、何度も繰り返すうちに玄人裸足なレベルに到達するかもしれません。て言うか、そういう上級者のかたがたは大勢おられますからね(その中の極一部が“宗教家”になっちまうわけだが……)。

 ただまあ。
 マイナー処でも、変化球でなく地道に正攻法をやっておられる処はあるわけで。
 応援するなら、そっちを応援したいですね。実際、そういう処には宗教臭がありませんし、製品に好感が持てますし欲しいですし。