(旧暦 卯月十六日)

 肯定側、否定側ともに、激しい勘違いをしているために無駄に炎上している。
 としか思えません。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190518-00000011-nkgendai-ent

 先日にも申しましたとおり、芸能・芸術の基本姿勢は権力批判であるべきです。と言うか、権力者に面と向かって物申せないからこそ、芸能・芸術という手法で婉曲的・比喩的に批判をする、というものだと思います。
 もちろん、中には宮廷絵画のように権力におもねる芸術もありますし、その存在を否定も拒絶もしません。クラシックの名曲なんて、大半は偉い人をパトロンにして成立しましたしね。
 ですが、それでも基本姿勢は権力批判です。そうでなくては、なりません。
「ペンは剣よりも強し」をここで使うのは誤用だと思いますが、剣を持つ権力者に庶民が対向するにはペンしかないとも言えるでしょう。

 思うに、今回の……いえ昨今の炎上あれこれの原因は、芸能人が芸でもって政治的表現をしたことではなく、その思いを直に発言してしまったこと、だと思います。
 んー。どう言ったらいいのかな。
 えーと、つまりです。
 仮にですよ。現職総理を批判したい作家がいたとして。その思いのたけを作品に込める。直接に現職総理を名指しで批判するのではなく、例えば異世界の国王に総理の言動やキャラを投影し、敵国や魔族との闘いの中で、その王様を滑稽に、あるいは卑怯に描くことで、批判とする。
 ここまでなら、問題ないと思いますし、これを弾圧しようものなら、それこそ表現の自由の危機でしょう。
 問題となるのは。この作品を書いた著者本人がもしも、あとがきやインタビューにて「この作品は現職総理の人柄や政策を痛烈に批判したものです」と書いてしまったら? 言ってしまったら? ということなんです。これでは小説の形を取った意味がなくなりますし、だったら作家やめて政治評論家か思想活動家にでもなれよ、と言いたくなるでしょ。

 今回の件で言うなら、当人である俳優氏は、体制批判の気持ちを口にすべきではなかった。
 そんなのは「映画を観て、皆さんそれぞれで感じてください考えてください」とだけ言えばいい。それを受けて、鑑賞した人々が、ああでもないこうでもないと感想や意見を交わせばいい。映画を俳優を褒め称える者もクソミソに貶す者もいるでしょう。それでいい。衆人にテーマを振って考えさせる。それこそ芸術の本領発揮というものです。

 ネットの、とりわけ SNS の浸透で、様々なプロがダイレクトに意見や思想を発信するようになりました。役者なのに作家なのに噺家なのに芸人なのに歌手なのに、ネットで発言してばかりの者だらけです。
 でもね。
 言いたいことがあるなら、それぞれの分野を使って表現しろよ。直接の言葉なんか使うなよ。それじゃ芸なんて要らんだろ。そんなの、ただの論評だろ。
 昨年、鬼籍に入られた某ベテラン俳優氏は晩年、極右に傾倒し、そのため巷では「晩節を汚した」という批判もかなり出ましたよね(妖之佑も同意)。これも同様のことだと思います。別に、ご本人が右だろうと左だろうと、それは思想の自由です。ただね、役者なんだから、その主張は芝居で表現すべきだった。なのに普通に発言し、右翼政治家に露骨に擦り寄ったからこそ「晩節を汚した」と言われてしまうんですよ(この御仁、「産経新聞を読んで国際政治情勢の真実を知った」とか言ってなかったっけ? だとしたら、それこそ某元防衛相と同レベルの**なんだが?)。

 手塚治虫先生の『七色いんこ』を読んでみてほしいな。
 芸能とは何か、表現とは何か、ということの一つのヒントになると思います。