(旧暦 如月廿六日)

 長谷川町子さんの『サザエさん』に、こういうエピソードがあります。


 とあるママさんが、泣きわめく赤ちゃんと吹きこぼれる鍋の間でアタフタ。
 そこへ追い打ちをかけるように電話が鳴り、玄関からは「ごめんください」。
 けっきょく電話を取ったママさんの耳に、
「わたくし立候補いたしました○×△郎でございます。ドーカドーカ」
 ママさんは冷静に「○×△郎ね」と名前を復唱・確認。
 ガビガビに焦げ付いた鍋を背景に、訪問客(サザエさん)にジュースをふるまい、涙でグチャグチャになった赤ちゃんにミルクを飲ませながらの、ママさんの台詞。
「ゼッタイに、いれてやんないんだ」


 候補者陣営が「とにかく足を運ぶ、とにかく名前を連呼、とにかく握手」をセオリーとするのは、別にまちがいではないと思います。自分の名前を言えば言うだけ握手すればするだけ得票数が上がるという統計データでもあるのでしょうから。
 問題は、そんな容易なことで「誰に投票するか」を決めてしまう有権者の姿勢、選挙を取り巻く環境です。
 よく選挙のニュースで、市民にペコペコしながら白手袋で握手しまくってる候補者(顔無し)の姿を映したあとに、市民の「熱意が伝わった」みたいな言葉が出たりしますが。
 阿呆すぎます。そんなことで政治への熱意や意欲が判るわけない。あれは「当選したい」欲が剥き出しになっているだけでしょ。その候補者の政治家としての資質なんて、そんなインスタントに判るはずがない。
 かつて、青島幸夫さんは選挙期間中を海外で過ごし一切の選挙運動をせずに当選しました。まあ、これは青島さんの知名度あってのことですし、レアなケースではあるのですが。名前の連呼しかない選挙戦に一石を投じた行為ではあったと思います。
 半世紀も昔に長谷川町子さんが皮肉った選挙戦、いつになったらまともになるんでしょうかね。