(旧暦 如月十四日)

 著名な音楽家氏が「音楽に罪はない」と言ったそうですが。
 甘いと思います。まあ、音楽を作る側なのでそう言いたい、という感情は判らなくもないですけどね。
 でも、甘いし軽率な発言。

 で、なんで甘いのか、なんで軽率なのか。
 例の容疑者は二十年以上もヤクを常用していたという話も出ていて。それが本当だとすると、その音楽活動はヤクのうえに成立していることになります。つまりは楽曲そのものがヤクに汚染されていたのですよ。そんな音楽でも「罪はない」と言えますか?
 罪と無縁な状態で音楽をやっていた人が、あるとき、何らかの犯罪を犯した。というケースなら、その事件が発生する前の音楽には罪などありません。
 しかし、犯罪を実行している期間に作ったり演じたりしたものはダメです。犯罪が前提となってしまいますからね。そんな作品を認めたら、犯罪の影響を肯定的に扱うことになる。謂わばスポーツにおいてドーピングによる記録を公認するようなものです。どう考えてもダメですよ、それは。
 以前のスポーツ界では、選手の薬使用が発覚すると、追放だけでなく全記録抹消という厳しい処置がなされていました。これは、さすがにやりすぎだったと思います。抹消するのは薬を使っていた期間の記録だけでいいでしょう。

 あと、巷に「芸術なんてものは古くからヤクによるハイで成立してきた」などという無茶な擁護意見が見られますが。薬が犯罪でなかった昔々のことを挙げられても議論になりませんよね。同じ理由で、今でも薬によっては合法という国もあり、そこでの活動であれば批判すべきではない。ここは微妙ではありますが。
 全否定でなく全肯定でもなく、TPOできっちり線引きすべきでしょう。

 普通に考えれば、ヤクと無縁な人はヤク漬け同業者など業界にとって迷惑、邪魔者でしかないと思うんですけどね。なので同業者が擁護発言すると「同じ穴の狢じゃね?」と、つまり「あんたも、やってんのか?」と勘ぐりたくなりますよ。
 それと、言うまでもないことなのですが。件の人物が得た出演ギャラや印税が、ヤク代として非合法な連中の手に渡ったということなのですよ。CDやチケットを買った、そのお金がヤクの売人に流れ、次の犯罪資金となる。そんなのを自分の財布から支払う形になったファンは容認できるんですかね?

 NHKは大河ドラマの当該人物が登場するシーンすべてを撮りなおす方針だそうで。
 演技そのものがヤク使用のうえで成立していたのなら、作品から当事者の姿を完全に消すのも、やむなし、いえ当然の措置だと思います(このあたり、スポンサーのお金頼みな民放だとシーンのカットだけで済ますんだろうなぁ。あるいは制作中止)。
 やりなおしさせられる撮影スタッフや共演者のかたがたこそ、とんだとばっちりですが。CGで何とかならないのかな。代役さんの演技だけ撮って、それをすでにある映像に組み込む……ハリウッドのことを思えば技術的には可能だと思われるけど、普通に撮りなおすよりお金がかかるかな。



 少し違う話かもしれませんが。

 バンクシーの絵? が話題になっていることに少なからず疑問を感じます。あれって、やってることは落書きであり、器物損壊という犯罪ですよね。なのに、有名な画家だと許される? それは変じゃないのかな。と。
 記憶が曖昧なのですが、過去にも落書きを繰り返すことで自分の絵を世間に広めて売れっ子になった人がいたとかいないとか。でも、そんなやりかたを伝記的に、あるいは成功物語として肯定するから、いまだに芸術家気取りの阿呆どもが商店街の壁やシャッターをメチャクチャにするんじゃありません?
 個人的意見としては、そんな行為をした人は、たとえ著名人であろうと、その絵の評価が高額であろうと「犯罪である」と明文化すべきであり、その期間の作品は否定・批難されるべきでしょう。

 何事にも線引きは必要ですよ。
 無免許天才外科医だの型破り刑事だの希代の大泥棒だのと、違法行為でも結果さえ出せばいい、なんてのはフィクションの中だけに願いたい。それと同じことです。